2005年に向けて

☆2004年 76点

この公言に対しては、十分に取り組めたと感じている。

===<2004に向けて、より引用>===
美しい名刺交換 とか
犯人を推理したくなる見積価格 とか
感動の嵐を呼ぶ電話の取り方 とか
自分の人生を重ねてしまうメールタイトル とか
===<2004に向けて、より引用>===

上記のような事象は無かったようだが、私の仕事の取り組み方や、
手法について、あるいは、技術や知識などの紹介を行う中で、
より効果的に、お見せできたと思う。

また、努めてエンタテインメント性を引用して話をした。
例えば、「まるでドラマのストーリーのようにシステムが」
というように、いまから目にする事は、娯楽であるとした。

逆に、エンタテインメント分野から日常の仕事に引用した。
映画作品の中で使われているツールの成り立ちや
テレビ番組の中で、取り入れるべきノウハウの紹介など。
また、映画に例えると、互いに共通の記憶や体験をもとに
話を進めることができるため、私はよく使う手法である。

2004年は、十分に、エンタテインメントの活用を行ったし、
自分自身、感動的な仕事ぶり、をお見せできたと感じている。

さて、なのに、なぜ76点なのか。
毎年行っている、この評点は、公言に対しての成果点ではなく、
自分自身の生活・意識・環境との距離・社会性など、
あらゆる点を考慮して、自分が自分に与える成績点である。

前年(2003)の評点は、89点だったから、大きく減点となった。

理由は、自分の中で大きく成りつつある「慢心」に関連してくる。

これまで、「私はこうあるべきだと思う」という主義主張をベースに
人生を営んできた。
例え、相手が個人であろうが、組織であろうが、社会であろうが、
持論をもってして、接してきた。

かつて、(株)doクラフトを経営危機に追い込み、
組織として機能しなくなった原因が、この慢心にあったと
自己分析として持っていながら、再び慢心とも思える言動が、
2004年は、いくつかあったと記憶している。

であるなら、反省の意味でもっと点が低くなって良いのでは?との指摘もあるが、
「ソレはそれ・コレはこれ」なのである。

私の中に、「慢心」と同じベクトルで紙一枚に隔てたところに、
「自信」が存在するのである。

人に言わせれば、「その自信ありげな態度は高く評価する」との事。

2004年、慢心はあったものの、それ以上に自信もあったし、
その自信の根拠を成立させるための努力は惜しまなかった。

結果の76点は、反省しているようで反省してない
そんな微妙な評点である。

でも、それが私の良いところなのである。

37歳、未だ「日の出を制する」には至らず・・・・・

総合評価76点

1年のメール:8773本

送信と受信を含め

メーリング・ニュース・受託管理者連絡は含まず


☆慣れと危険

私が、後藤智江(現代舞踊家)に師事しているのは、ネタでも無く事実である。

とはいえ、舞踊の教えを受けていたのは、15年以上も前に整理がついて、
今は、師が関与する舞台・公演のお手伝いをさせて頂く関係である。

師の舞台・公演を陰で支え、衣装・大道具・装置制作を統括する
「永田組」に私は所属して、15年以上になる。

15年と長いようであるが、年に2〜3日であり、シロウトぺいぺいなのである。
しかし、自分の中では、舞台の設備や言葉、段取りなど理解し、少しは舞台公演を
知った古参要員の様な気になっていた。
今年(2004)そんな慢心があったと反省する事件が起こった。

2004年4月17日 大分市「グランシアタ」で開催された
湯布院源流太鼓の公演を、永田組でお手伝いすることになった。

湯布院源流太鼓は、大分県のみならず、国内及び海外でも活躍する
和太鼓集団であるが、昨年2003年11月に、後藤智江と
「アラスカ(野生の女)」で共演したきっかけで交流があり、
自分たちも、グランシアタで公演実現を希望し、
永田組も全面支援で、準備が進められた。

同日、直径2mにもなる大太鼓などが舞台に配置され、
我々も周辺整備や、演出用の幕など準備を進めていった。

本番開始、幕が開き、順調にプログラムを進めていくが、
永田組の出番の1つに、炎の揺らぎを背景照明に
実現する装置があった。

装置の出番がくれば、転換の間に、舞台後部に速やかに位置して
揺らぎを手動で出していくのである。(通称メラ)

事件は、この揺らぎ装置に関連する。

出番のいくつか前の演奏中に、装置の状況が気になり、
舞台では真剣な演奏が行われているにもかかわらず、
幕や照明機器の間から、装置のところまで行ったのである。
もちろん装置に問題はなく、心配は解消され、舞台の袖(外横)に
戻ろうとしたときだ。

舞台では演奏が終わり、次の演出にむけて、幕や照明が移動していた。
グランシアタの装置は、最新式であり、すべてが電動になっている。
大分文化会館の幕移動は手動で、滑車の音がカラカラ聞こえ、気が付くが、
電動では、音もなく、かなりの速度で、幕が移動する。

そのとき、私はホリゾントと呼ばれる、最後部の白い全面幕の真下にいた。
幕をしっかりと張るため、下部には数百キロの鉄柱が入っている。

何気なく、見上げたら、そのホリゾントが真上から、自分めがけて降りてくる。
当然、舞台の転換中なので、真っ暗で、なにも見えず、音もしない。

知識としてホリゾントの位置に居る事から、危険を感じ、安全な場所に
身をかわすことで、事なきを得た。

もし、あのときに、ホリゾントの下敷きになっていたら、
自分の身は無事ではなかったろうし、何千人・何万人という人たちが
楽しみにしていた、この本番を人身事故発生で台無しにしていたところだ。
それどころか、永田組、ついには後藤智江の舞踊家生命まで
脅かすところだった。

そのときは、「あぶなかったぜー」という程度だったが、
日がたつにつれ、今となっては、大変な事故になる行動だったと
強烈に反省している。

「慣れから危険」につながると言うのは、伝説や諺でなく、現実だと実感した。

自分自身、心がけていくと同時に、後進にも厳しく指導していきたい。


☆生と死と天と地と

2004年も、いくつかの生に出会い、いくつかと死で分かれた。

自分が、そういう世代なのか、周囲に出産が続いている。

受精後、細胞核が分割し、細胞分裂が進んで、身体を形作り、生まれ出てくる。
その最初の分割で2つになった細胞が、身体の右半分と左半分らしい。

私の長女は、鼻の先端にちょっとした目立たないスジがある。
これも、その細胞分裂のなごりなのか?
ゆえ、わたしは新生児をみると、鼻先を見てしまう。

この細胞分裂自体が、人間の寿命に大きく影響していると論じられている。(らしい)
細胞核を成す遺伝子という糸の後部に、テロメラーゼと呼ばれる部分があり、
細胞分裂の度に、短くなるそうな。

遺伝子の長さが分割できないほど短く限界に来た段階で、細胞の寿命に達し、
細胞分裂が進まず代謝が止まり、つまりは、その人も寿命に達する。

今年遭遇したいくつか死は、事故、あるいは病によるものである。
テロメラーゼが持つ寿命を、消費せずに迎えた死だと思われる。

テロメラーゼの理論からすると、120歳以上は生きられないらしい。

勉強に励み、親の言うことをよく聞いて、好き嫌いせず、よくかんで食べ、
小食を心がけ、暴飲せず、マイクが来たなら微笑んでオハコを1つ歌い、
早寝早起きして、歯磨きも欠かさず、挨拶をハキハキしても、
120歳までしか、生きられないのである。

コンピュータシステム屋としては、上限値が決まるほど、
設計にありがたいことはない。

顧客データベースを作るにしても、300人なのか3万人なのか、
300億人なのか、決めてもらわねば、作りが変わってくるのである。

とはいえ、120年に決めたよ、と
自分の生存期限を区切られたら、なんだかなー。

120年で、何を成すか?
すでに、37年、使ってしもうた。

9月に大きな台風が大分市を直撃した。

2001年に植樹した、三信工業のXマスツリー、台風で大きな傷を負った。

三信工業グループの象徴として存続させるべく、適宜手を施し、
今年は、大がかりなミノムシ駆除をおこなった。

努力したとは私の言い分であり、自然界で人間の力は、まったく無力、
天が召した風の力は強大で、防ぐ手段も与えなかった。
しかし、地に張り付いた木の力も、風にあがらうに等しく、
傾きはしたものの、その命を絶つまでには至らなかった。

大切な枝を数本無くしはしたものの、11月26日のXマスツリー点灯式には
400人ちかくの観衆の目前で、照明をまとって、光り輝いた。

風と木は、地球立史後、絶え間なく駆け引きを続け、今もなお、
そしてこれからの未来、何億年も続いていくだろう。

それに比べれば、三信工業50年の中で、あるいは今後も経験していく
浮き沈みなど、たいした事でないことと思われる。

天物の力と地物の力と、自分の無力、を感じた出来事だった。

そんな無力な自分も、疾病問題がある。

膵臓が、弱いらしい。
内科医の話によると、膵臓炎だか膵臓萎縮だか、
インシュリンの分泌が正常とは言えないとのこと。
出ないのが糖尿で、出過ぎるのがインスリノーマ
出過ぎ傾向らしいが、正常時間で血糖値は正常に。
(グラフで見ると、出足が急なだけ)

ブドウ糖摂取後の30分毎、6回採血(イテーカッタヨ)と
内臓エコーの検査をうけた。

結果、異常は見つからず........。
ナンダヨ、ソレ。

もう1点
頸椎のヘルニア
首の神経が圧迫されている、ことによる右上半身のしびれなど。
けっこう顕著で、悪化の場合は生活に支障もあるかも。

その際は、口でなんとかする業種に転向だ。

自分自身、テロメラーゼが引いてくれた120年のレールを
走破しきれない可能性も出てきて、残余期間の使途に困惑中。

生と死と天と地
これらは、すべてが真実で、ウソがない。

自然界に挑戦する私にとって、まず直面する大いなる壁である。


☆飲食と調理

飲食に関して、特別な思いがある。

「味覚が故郷」
と、雅治語録なのだが、
盆と正月、なぜ多くの人は、困難を承知で、帰郷するのか?
と、その疑問に、「味覚が故郷」と仮説を立てた。

つまり、生まれ育った味を求めて、帰郷する。

実家周辺の景色が恋しいとか、家系や友人に面会、という楽しみもあるだろうが、
ばあさん・母親の料理や、幼少からいきつけのお好み焼き屋
その土地でしか取れない食材などなど。

飲食にしぼってみても、帰郷に値する条件は整うのである。

逆に、帰郷に興味がない私の知人友人の共通点は「帰郷の意義の欠如」なのである。
私も含め、その多くは、生まれ育った味覚との断絶にポイントがあるようだ。

昨今、吉野屋の牛丼が、絶滅しかけている。
この牛丼が故郷だった人たちの多くが、パニックになった。
さすがに時間がたち、故郷との別れを受け入れた人もいるようだが....。

腹が減っているのに牛丼が食べられないという「リアルな被害感」より、
今後、吉野屋の牛丼が食べられないという「未来に対する絶望感」の方が、痛い。

生と死が絶対である、と同時に、味覚も絶対である。

なぜ私が自ら調理に手を出すのか、という答えの1つが、
「味覚の故郷の再現」を求めてのことだと感じている。

しかし似たものは出来るが、完全な再現には、いまのところ至ってない。

さて、うちの娘さんたちは、生来、独自の家庭料理で育ってきた。
たぶんに、世界中どこにも同じ味を出せる料理人はいない。

今後、成長し、うちを離れたり、否定したり、とあるかもしれないが、
「おまえらにとって帰る場所は、ここしかないのだー!!」と、
「味覚が故郷」の仮説立証の為、数十年がかりの壮大な実験中である。

私が自分で調理に関与したのは、4歳くらいだったか、
母親とカレーを作ったときに、リンゴをすりおろすのを
手伝ったことだと、記憶している。

次の次元で調理にめざめるのは、高校1年の夏休み、
大分市新栄町のシャンテドール2Fフレンチレストランでのアルバイト。
1ヶ月間ちょいだったが、その中で、いろいろな体験をした。

鍋のアクをていねいに取り続けることも、
煮込みや炒めで1〜2時間付きっきりは当然の事
なんて話も、ここで学んだ。

特に、鶏ガラからブイヨンを作る工程は、いまでも役に立っており、
うちの娘さんたちが好きなスープは、鶏ガラを購入し、ブイヨン作りから始まる。
ゆえ、「今日、何食べたい?」と希望を聞いても、内容によっては
「じゃ、明日準備して、明後日ねー」というモノも多い。
(もちろん固形スープを使うことも多い、そのほうが味がフラットなので)

その調理の師となるチーフ(シェフ)が、
引用:カレーハウスNo2藤田
氏である。

私にとっては、シャンテドール(藤田氏)も、味覚の故郷であった。

16歳の時、アルバイト1ヶ月からずいぶんとたって、2年ほど前、
どうしても藤田氏の味に触れたくて、藤田氏を捜した。

20年ぶりの再会でも、藤田氏のソースは同じ味だった。

再会後、時折、店を訪れては、調理やレシピについて、教えを受ける。
とはいえ、頂く指導は、かつてアルバイト時とおなじく、
「炒めが2時間・粗熱1時間・煮込み4時間・・・・」とヘビーだ。

そして、そのヘビーで手の込んだ料理が日常となる、うちの娘さんたちは
ますます「パパのワナ」にはまっていくのである。

ここ数年、シャンパンを飲んできた。
とはいえ、モエ・シャンドン(LVMH社)の限られた製品だが。

2004年後半、赤ワインに回帰してみようと、銘柄を模索中。
・シャトームートンローシルト2001
・シャトーマルゴー2001
・シャンボルミュジニー(ミッシェルグロ)1998
・エシュゾー(DRC)2001
あたりをそろえてみたが、さてどうやって飲むか?

酒だけ飲んでウマイものは、そう多くないと感じており、
適切な酒肴・適切な場・適切な人、など好条件がそろって
「ウマイ」と思うのだと、信じている。

もしかして、自分自身が未だこのワインたちを飲むに
相応しくない状態だったりして......。


☆仕事をするにあたり

私の関与する5団体の1つに、IT事業部というのがある。

現在、私を含め、5人のチームだ。

社内体制の変革期にあり、そのモデルケースとなるように、
活動をしているのだが、私の要求するスピード感・スケール感と
スタッフの現実にズレがあることが1年経ってみて、ようやく判った。

仕事は、任せておき、問題があれば、報告を受け、
対処すれば良いはずだ、と思っていた。
子供じゃないんだし、業務の手順などは自分で考え
多少の問題点も、自分で解決するはずだ。

自分の現状を基準にチーム運営を行ってきた。

この無責任な運営も「自分なら出来る」という慢心だろう。

スマトラ沖地震で、津波についての経験がなかった住民が
引き潮の海岸に歩み出て、被害が拡大したらしい。

連日のニュースの中に、「地震後の引き潮は津波の前兆である」と
知ってさえいれば、被害が少なかった、と事後論が繰り返される。

私の無責任なチーム運営の理論からすると、
「地震がくる前に、なぜ相談しなかったのだ?」
「地震がきたら津波がくるなんて、考えたらわかるだろうが!」
と、いう結論にいたる。

なんか、おかしくないか?

チームのボスとして位置するなら、
過去の経験や他所の事例からトラブルの防止策を施し、
あり得ない事例だとしても、理論上、起こりうる事には、
日頃から自分たちに置き換えて考え、
技術や知識、また精神の強化などにも、注力すべきであった。

大分のクライアントの指示で、調査先がある沖縄に、初めて行った。
旅行ではなかったので、空港・訪問先・ホテル・訪問先・空港
という、本当に仕事だけだった。(まあ、泡盛は飲んだけど)

任務は、金融業システムに関する調査分析だった。

訪問先は、独特の組織運営を行っているようで、今回、私は、
自分がいくつか持つシステム分析手法のチョイスに苦労した。

例えば
製造業であれば、材料と工程とロス管理で、話が通じる。
販売業であれば、仕入れと在庫滞留時間とアイテム数で、話ができる。
研究施設であれば、自慢話・苦労話を聞く中から始まる。

今回は、事前情報で得た中から、想像は出来たものの、
大分のクライアントの要望からすると、業務全貌を
見て帰る必要があるので、手法は、シンプルな物を選んだ。

結果、私が選んだ調査手法は
「しくみを作った人に直接、私に浮かんだ疑問を聞く」

調査先には、社長(仕組み作りの本人)を含む幹部数人も同席頂いて、
私から業務に関する質疑応答の時間をとってもらった。

浮かんだ疑問を聞くわけだから、第1声は
「この会社、なにをやっている会社ですか?」と始まる。

大分から同行した2名は、この手法に馬場的アプローチの極意を見たと言うが、
ただ単に「私が知らないことを最初から聞いてみる」というシンプルな手法である。
(まあ、言葉1つ間違えたら、沖縄でサメのエサだったろうが)

「この会社、なにをやっている会社ですか?」と切り出す私に
「なんじゃ、なめとんのか?おまえ何しにきたんか!」とは行かず、
私は刺されもせず、静かに私の問いに対して、率直に答え続けてくれた社長であった。
業務の中にいくつか矛盾が発見され、そこを突いた無礼な質問もあったが
「指摘の通り今後の課題だ」と答えた度量には、感激した。

聞く作業とは逆であるが「馬場的プレゼンテーション」で話すという
場合も同じく「知っていることを話す」というシンプルな手法である。
話したいことを「知っている」次元まで高めればよい。

聞くも話すも、簡単ようだけど、そうではない。
自分が出来るからといって、誰もができるわけではない。

もしくは、同じ手法で結果を出すわけでもない。

そんな慢心ばかりの、2004年の仕事ぶりだったと、感じる。

なにしろ、自分が一番次男なので。(チト、フルイカ....)


☆ファミリー

大きな事故もなく、入院などもなく、まずまず順調。

2004年は、次女真凪(まなぎ)が、3歳を迎えた年である。

うちの伝統、3歳直前のパパと二人っきり東京タワーを実施した。

長女詩音(うたね)の時から、はじまったこのイベントだ。

今回、真凪については、開催も危ぶまれたが、なんとか実施した。

これは、いつまで続くのだろうか。

12月23日、ママと娘さんたち2人で、Xマスプレゼント買いにでかけた。
目的は「ふたりはプリキュア・カードコミューン」らしい。
バンダイ社が販売している、たまごっちとバーコードバトラーを
一体にした育てゲーの1つで、メーカー希望小売価格3500円

長女詩音の希望らしく、11月のトイザラス広告に記載されているのを
しきりに見せてくれていた。

おばあちゃんが払うってことで、ママが代理購入のため、
大分トイザラスに行ったが売り切れ、トキハ本店・アクロス明野もなし。
ざっとネット検索するが、なし。

そこで私にヘルプコールが鳴る。
鼻毛(女に甘い男:トリビアの泉より)の私は、さっそく市場調査。

2004年2月に発売で、同9月が最終出荷。
爆発的人気で、店頭販売分は消滅したもよう。

発売元のバンダイから情報を得ると、直販の受付も受注終了の案内。

結局、「無い」と言うことを、長女詩音に説明するが、
どうしても、あきらめきれない様子で、ふさぎ込んでしまう。

うーん、(金銭的に)ムリをすれば、あるのは知っていた。
インターネットの時代、ネットオークションという物が身近になった。
欲しいひとが値段をつけて、競り合って落札する、まさに競りなのである。
当然、人気商品はネットオークションの華である。

23日17:00時点で、3500円が19200円の高値。(フザケルナー!)

その後、推移を見守ると、落札は23日の深夜26400円
モトは3500円でっせ。
きっと、同じ思いの世のお父さんの中で、娘の信頼を守った人がいたのね。

私も、手を引こうと思ったが、もうちょい模索して、落札時間が先の出品の中で
カードコミューン本体と別売のソフトケースの抱き合わせ販売を発見。
合わせて5000円のところを、8500円で提示中だった。
入札期限が、まだ2日後であったが、出品者と直接交渉し、
オークション手数料・送料・梱包など諸雑費込み+即納、なら即決だと条件を出す。

無事、成立し、25日には、長女詩音の手元に届いたのである。

大喜びで、遊んでいるわけだが、後日談もあって。

たまごっちをご存じの方は、わかるように、育てゲーゆえ、
ずーっとかまってなければ、ダメになってしまう。

さらに、事ある毎にピーとかキョロキョロ、とか音がする、
お世話のボタンを押すたびに、ピ・ピ・ピ、とうるさいのである。

結果、「うるさいから切りなさい」と、怒られ、ケースにしまう。
そうすると、しばらく忘れてしまう。

我が家のカードコミューンは、そんな特殊な環境下で、
どのような成長をするのだろうか。


☆海水について

慢心ではないけれど、自分の無知を実感した事件だった。

8月の終わり

夏休みも最後だからと、カミサンと子供2人が田浦の人口浜にいってきたらしい。

私は、業務でアイルテクノロジーズ前広氏と県北まで赴いていた。

帰ってみると、浜でサザエを拾ってきた、とうれしそうに話してくれる娘たち。
みるとサザエではなく、岩肌に生息する巻き貝の一種だろう。
外形1〜2センチほどのものだ。

ビニール袋にいれられた貝を、台所流しに置いてある。

私:「これどうするのよ?」
「おうちで飼うの」と、おっしゃる娘さん。

うーん「貝を飼っておもしろいのか?」というのが、わたしの最初の意見であった。
コイならば手を打てば応えよう、鳥ならばさえずろう。
しかし、貝がなつくとも思えないし、名を呼び振りかえりはしないだろう。

そうは言っても、海水の生物、ひとまずは、シオミズにいれなければ。
と、食塩を3%に溶かして、シオミズを作る私。

適当な器にいれて、貝をいれてみると......。

なんと、キツク閉ざしていたフタを開いて、新鮮なシオミズを吸ったかと思えば、
「グ、う、グワァーーーー、も、ギュ、グェーーー」というように
悶絶し、巻き貝から出入りし、やがて貝に収まり、再びキツク、フタを閉じる。

きっと、わたしがUFOに捕まり、真空に投げ出されたとき、
彼ら(貝たち)のような事になる、と、そんな罪悪感に襲われた。

「事は尋常ではない!!」

わたしの身体に1スジの不安がよぎり。
「海の生き物の生活を取り巻く海水は、シオミズじゃ無いのか?」

私は、これまで30数余年、海水はシオミズと思ってきた。

淡水生物に、水道水はマズイからくみ置き、という程度の延長で、
海水生物にはシオミズを、と思った。

なんとかしなければ、娘たちの思いと貝の生命が、危ぶまれる。

熱帯魚などを置くペットショップに海水そのものや
海水の基である、特殊なシオがあるらしい。

翌朝、ホームワイドがあくと同時に入店し、海水の基を手に入れる。
ペットショップ部に、海水生物の水槽があるわけで、
当然、水槽やらポンプやら、海水の基なんてのがある。

海水の基、箱をあけると単に白い粉がはいっているだけだが、
50リットル分で2000円なり。

さっそく自宅に帰り、準備を進めるが、どう考えても50リットルもいらない。
1リットルで充分である。

ペットボトルを洗い、1リットルをつくって、器に。

昨夜の貝の悶絶も記憶に新しいのに、人工海水にて、再びチャレンジ。

5個の貝を沈めてみて、しばし観察.........。

貝のフタあたりから、気泡が1つ、2つ。

すると、時間の経過とともに、中から、本体が出てきた。

悶絶することもなく、器にそって、散歩をはじめるくらい元気になっている。

「出たよー、きてきて」と喜ぶ私、娘さんたちも大喜び。

しばらく、器の中を、ジワリジワリと、移動する貝を眺めて
「あれ、コイツら、なに喰うんだ?」と、疑問のわたし。

水戻しのワカメなど、いれては見るものの、主食なのか定かで無し。

わたしは、また
「コイツらの食事に、奔走するのか?」
さらには、海水の濃度維持、浄化など、
行きつけの美容院のマスターが熱帯魚マニアで
水槽や装置が何十万円もした、なんてことを思いだし。

うーん、この貝を維持することに、どのくらいの意味があるのか
あるいは地球規模の意義は、いかほどなものなのか......。
と、自問自答し、娘さんたちにGiveUP宣言。

「やはり、この貝をうちで飼うことはできない、明日、海に帰してあげよう」

娘さんたちの中に葛藤があったか、定かではないが、翌朝、
捕獲した田浦の人口浜に戻しに行くことにした。
(その夜間、貝は器を脱出し、室内を放浪した強者もいた)

おりしも、台風接近の別府湾、波も高くて、田浦海岸入場も危ぶまれる中、
捕獲したという海岸の岩肌に、貝を放つ。

「貝もきっとパパとかママとか、お友達がいるわけだから、
 離れてしまうの、イヤじゃなかったかな?」と私の話に、涙声でうなづく長女。

「でも、いま海に帰ってきて、パーティーしてるとおもう、
ウタネちゃんの顔のケーキでお祝いしてるよね!」と笑顔の長女。

シロサキ8月の貝事件、ひとりの死者を出すことなく、完結。

後日談、海水の基の箱を読むと、ミネラル成分やら粘膜成分やら、
あとは生物の生息域(海抜や砂場・岩場)によって、濃度を変えねばならないとか、
「単にシオミズでない条件」が、わんさかと出てくる。

美容院マスター曰く、海水が欲しければ、マリーンパレス「うみたまご」で
500リッター100円で販売しているらしい。
当然、館内でも使用している、浄化後の最適濃度の海水だ。

そして、残ったのは、夏の思い出と49リッター分の海水の基だ。


☆2005年のキーワード

今年のキーワードは2つ
・BBブランチ
・成すがままに在るがままに

・BBブランチ
2001年7月〜2003年12月まで開校しておりました、通称馬場塾、
BBブランチ「アイルテクノロジーズ(株)主催」の再開を計画しています。
本科・コンテンツキュレーター科・ネットワーク管理者科、と
3コースを実施し、のべ12人の卒業生を送り出しました。

開校のきっかけは、私が知り得た技術や体験を残したいと思い、
全てのカリキュラムは、私、自ら教壇に立ち講義を重ねつつ、
時には、私が全面的信頼を寄せるクリエイターを講師を招きOJTを行うなど、
いわゆる学校システムや資格ビジネスとは、一線を引く場であったと思っています。

さて、2005年春から開校予定しているBBブランチVol2は、
12名の卒業生の他に、外部講師などの意志を集約した本科リメイクコースと、
学校長自ら教壇に立つマスターコース、の2つの柱になると考えています。

具体的には
・本科(IT基礎と、Webシステム開発・マネージメント)
・プロジェクトクリエイター科(企画・提案・実現手配)
・(仮称)ホイワイトアウト科(起業後の事業再編・継続事業の再編、に関するシステム化)
などを考えています。


☆成すがままに在るがままに

2005年4月、わたしのところにコウノトリさんが来る予定になっています。

産婦人科のエコー写真をみるかぎり、その子の人生を左右するモノの存在は
未だ発見できない状態で、このまま春を迎えると思います。

「パパのワナ」にはめられる実験体が、増えるということになりますが、
城崎の中心がママとベビだけの生活になり、残された姫たちのお世話と、
全体の統括で、私はしばらく外界と縁遠くなることも想像されます。
(名前は顔を見るまで決めません、詩音も真凪もそうだったし)

また、一部から参加要請継続中の、組織運営上の問題につきましては、
今年は、もう先延ばしには出来ない事と、感じております。

一任を頂いた時点で、右か左か断する事も、在るがままに。

残された時間軸の使途も、成すがままに。

2005年は「受け身の年」かな?

追伸
  受け身と受け入れると、違うと思うんだけど......。

2004年に向けて

2003年 89点

年初公言のキーワードは、
・手応え
・金儲け
・主義主張
・コミュニケーション
を、掲げて過ごして参りました。

日常生活の中で、直面する場面場面において、この4つの事を考えながら
言動したわけではありませんが、おおむね合格。

これまでの生活には無かった新たな流れや視点がいくつか出てきて
それぞれの事象の中で、行き交う人の数が増え、コミュニケーションも充実し
主義主張を述べさせてもらう機会もあり、手応え充分の1年でした。

反省ということではありませんが、金儲けについては、数値計画と
自己資金の条件を明確にしてなかったため、評価するには難しい状況です。
(この売り上げは、自分の関与をどのくらいにするのか?の割合表など)
しかし、通してみれば、地表から山小屋まで、といった感じでしょう。

振り返れば、喜怒哀楽とても充実の1年でありました。

ともかく、新分野への着手・挑戦、新たな出会いや再会が多く、
また自分自身の違った面を再認識して頂く機会も、多かったと思います。

多くの周囲の方々の支援・視線を感じつつ、
自分に対して誠実でありたい、と言動した2003年でした。

年男だった36歳、未だ「日の出を制する」には至らず・・・・・

総合評価89点


☆父親デビュー

長女が、幼稚園年少組に入り、幼稚園児社会デビューを飾ると共に、
「社会的に父親」デビューが抱き合わせでついてきたわけで。
大きな生活リズムの変更を余儀なくされ、特に就寝・起床のリズムは、
深夜泥酔禁止へとつながる、ふむ。

これまでの生活、起床は「笑っていいとも」終了後、
キッズ・・や温泉・・、ピュア・・を見ながらの朝食、であった
これまでの生活から、6:52起床、7:09出発へ、と大きく変わってしまいました。

しばらくは、キツかったが、10代の10年間、朝刊少年であった体質に助けられ
同じようなものだったが、深夜泥酔のコントロールには、しばらく時間を要します。

ただ7時に出発すればよいわけでなく、長女を幼稚園バス停まで送る
自動車運転があるため、アルコールを残すわけにはいかないのですな。

さてそこで、酒量と睡眠時間との因果関係に興味を持ち、
ネット通販で、呼気アルコール検知器を購入し、
0.15ミリグラムの攻防をこの身で体験する。(バカだねー)

通常の健康状態で、ウイスキーストレート換算180ccを午前3時まで飲みきれば
7時起床で、アルコールチェッカーは合格通過することを実証した。

もちろん、酒種によって大きく変わり、同量のアルコール接種を目指して
ビールを飲むと腹一杯で苦しいし、醸造酒は肝臓との協議により、NG

父親として、酒臭い状態で、子供を送り出すわけにはいかない!
と、努力の甲斐あって、さわやかな朝を提供できたのではないかと、自負ですが....。
(実際は、体調NGの朝、カミサンが代わりに行くという隠し技も、何度か披露した)

毎日楽しそうに通園する娘の幼稚園での様子を、年に数回父親が見る機会が与えられます。
参観日・運動会・発表会などですね。
(私は、この幼稚園の納入業者なので、機会でなくとも参観しているのである)

しかし、その日は多くの社会の人たちが集まってくる私の苦手な場所・・・・

些細なことだけど、例えば歩行者信号を守らないとか、禁煙場所で喫煙とか、
順番待ちとか、身勝手な解釈とか、私は極度に嫌う点があって、
ゆえ、これまであまり戸外に出ず、行くところは、そこの人たちの
人間性に安心できる場所しか、立ち寄らなかった。
それで、生活も経済も巡回するように、15年かけて、組み上げてきたのです。

なので、休日のデパート・行楽地なんて、絶対に行かないのである。
苦手な人たちや、嫌いな場面に遭遇したくないために。

娘の社会デビューとセットとはいえ、未だ理屈に納得いかず、対策思案中。
なかなか、社会に接するというのは難しいモノだと、改めて思うしだい。

昨今、学校施設に危険人物の乱入が発生しているようです。
幼稚園でも例外でないだろうし、ネットセキュリティーの分野で
敵と戦っている身としては、「完璧な解決策はない」と考えるわけですから。

「ならば娘に武装させるか?」

ネットセキュリティーに関するわけではないが、幼稚園での個人情報の取り扱いについて
「父親の職業は把握していない」、と、聞きつけて、どうやら
プライバシーに関わる問題、あるいは差別に関わる問題、ということらしい。

それなら、「連絡網」と称して、自宅電話番号を印刷物でクラスに配布されたことの
個人情報漏洩は、どうなるのだろう? と、かなりセキュリティーポリシーに疑問を持ちます。

学校での連絡網って、いまもあるの?
昔からの慣習と思われるけど、そういうサービスもあるだろうし。
受益者負担は、どこ? なんて....。

これも対策思案中。

学校施設分野は、もしかするとビジネスチャンスの鉱山かもしれず。

そのためには、独身男性の確保が急務。


☆ITコンディション設立

カミサン側実家の事業の中で、ITに関する作業を手伝ってきておりました。
構想は、3〜4年前から、事業部(別会社)設立という話もあって
ようやく、ヨタ話が見えるモノに変わってきた、という感じ。

これも、2003年4つのキーワードの結果として、大きく感じています。

1989年12月25日に(株)doクラフトを登記して、
14周年15年目に入りました。

このURLをメールさせて頂いた方の中には、その14年間の中で支えてくださった方も
あるいは、後押ししてくださった方もいらっしゃいます。

また、いくつも法人設立し、団体活動もし、個人活動もしてきた中で
しかるべき体制下で行うべき事というのが、いくつか残ってきました。

それが、「ITコンディション(三信工業IT事業部)」設立の大きな基盤である
「まさはる君的ネットワークセンター」の維持運営であります。

自宅階下の1室にネットワークセンターを構えて、これまで約2年やってきましたが
60台を超えたとき、マンションの基幹電流をオーバーし、ブレーカーが破裂!!!
(1時間で復旧したが)

お客様から、信頼だけで預かっているサーバーに、主食の電気を送れなくなった....うう。
また、設置台数に限度があるなら、ビジネスの拡充は、ここで限界が見えてしまいました。

物理的場所を求め、結論として、三信工業に移設を決定。

ネットワークセンターの移設にともない、私のビジネスの多くがくっついていき
ならば、現地スタッフに、私のビジネスへ参加をしてもらう事&前述手伝いごとの延長。

同社より3人のスタッフを頂き、2003年10月21日IT事業部がスタートしました。

与えられた仕事をしてきた3人と、自分で作ってきた私と、4人で
さあ、果たしてなにか、おもしろいことが起きるかどうか。


☆師従と戦争と平和

二十歳の頃、IT系エンジニアで不健康な毎日に、すこしでも効果があるかと
引用:後藤智江モダンダンススタジオ
の門をたたき、ダンサーの卵となった。
毎週1〜2回、鏡の前で、回ったり足を上げたりして、ようやく羽化した時
手に持っていたのは、ナグリや黒斜、リノがあった。
照明の下でなく、大道具の制作が、私の舞台になった。

それ以来、10数年、発表会や作品公演では、大道具や装置、ADなど
舞台に立つ人のそばで、作品が作られている課程を見てきた。

装置の一部として出たり、ホームページ制作などでのお手伝いをしてきたが
今年は、自分の能力の中で、装置を出させて頂く機会があった。

戦争と自然がテーマの「アラスカー野生の女ー」

上演の中で、「戦場の写真を背景映像で欲しい」と、恩師の後藤智江から。
(私にも、極少数だが、NOと言えない師がいる)

本物の戦場写真をネットで探す中で、
引用:「森住 卓氏」
に行き着く。

劣化ウラン弾の被害を追うフォトジャーナリストである森住氏に
後藤智江作品の趣旨を伝え、写真の使用許諾を得る。

2003年11月16日 14:00幕が上がり
「アラスカー野生の女ー」は2000人会場満席で閉幕

森住氏の写真に行き着いたのは、以前奇形児などの写真を収集した時のブックマークからだった。

放射能被害が引き起こす、奇形児の写真は、見慣れた人間の子供ではなかった。
映画の世界で、そういう地球外生命体も表現されるが、この子には人間の親がいる。

親は、この生まれた子をいとおしく感じるのだろうか?
子供の将来を夢見るのだろうか。

私は、奇跡なのか、健常の娘2人が与えられた。
だから、運動会でよその親が嫌いだ、なんて言ってるが
森住氏のレポートや写真を見ると、度外なゼイタクに感じる。

後藤智江は、イラク攻撃など昨今の戦争をみて、
「ダンサーとして反戦と平和を願う行動」を続けていくのである。

では、私は、世界に対して、なにを訴えていけるのか?

これも対策思案中。


☆BBブランチ終了

2001年6月より始めた、
引用:BBブランチ(別称馬場塾)
今年の本科(3期生)の卒業で、いったん終了しました。

いくつか理由はあるが、私が残したい「生き方のエキス」を受け止めるだけの
人材の確保と、馬場的固有文化の土壌形成が出来てきたからです。

開講当時のカリキュラムも、さすがに3回使えば陳腐化するし、
卒業生が、馬場校長のマネゴトから、自分の生き方に
シフトするために、もう少し、伝承したい部分があり、
新規生徒の募集中止というのが、正しいと言えるでしょう。

喜怒哀楽が充満する「その場」こそカリキュラム!!
と信じて、3年間、12人の卒業生を送り出して、
「ああすればよかった」「こうすればマシだった」と
反省も多い中、システム屋としてのズルさ、からか
「あとで出来る事は後回し」というところ.....。

資料作成や、営業での交渉、交際など
机上や室内では出来ないことばかりが残ってしまったけど、
OJTが可能な場合は、少し展開したいと考えています。

つまり、あとで出来ること、補講を開催しようという企み。

BBブランチ(別称馬場塾)


☆503撤収

数名の有志で始めた、
引用:アイルテクノロジーズ(株)
創業の場所
また馬場塾BBブランチの教室、
そして、まさはる君的ネットワークセンター、
であった城崎町503号室を、昨年末で退去しました。

一般住宅向けマンションのため、電源基幹が60Aしかなく
このままでは、ホスティングの数も限界があり、やむなくセンター移転。

私の住居と隣接という理由で、24時間体制の管理であったわけで。

BBブランチも、同様に24時間登校OKの教室でした。

2001年春先、現アイルテクノロジーズ社長とふたりして
あれこれ持ち込み、事務所らしく仕上げ、また教室に見せかけ?したわけでして
精神的にも出発点であった503号室でした。

昨年11月にネットワークセンターも移転済みで、BBブランチも長期休暇に入り
503号室の存在意義は薄れたため、退去することに。

すっかりモノがなくなって、ガランとした部屋を見たら、少し......。

起業時のメンバーも、それぞれ事情が変化し、アイルテクノロジーズの継続
そのものも、503の撤収と共に、今年一年かけて、考えていこうと思います。


☆2004年のキーワード☆

今年のキーワードは1つ
エンタテインメント

ITが進化して、電子化・メール化が進む中、
文字やメッセージで、感情や重点を表す、
デジタル言葉遊びのような文化ができつつあると感じています。

お得意とする部分でありますが、果たして、そうなのか?
と、これまたアマノジャク的に、思い出したわけです。

百聞は・・・というコトワザにあるように
その前に人が立った写真で見せられた鯨の大きさの迫力は
いくら文書で説明されてもわかりきれないに例えます。

意思の疎通や確認が、個体間の通信の意義だとすると
より効果的に伝えなければ、誤解も生じます。

大分県でセレブ?な、書道家とご一緒する機会があり、
作品を拝見する機会がありました。

書道が、意思を伝えるための記号であるなら、
活字が発明された段階で、書家の役目は終わったはず。

しかし、書家によって、文字の力強さ・繊細さを
文字の意味以上に伝えることが出来るのであれば
それはエンタテインメント。

意味に気持ちを乗せて、伝えることのおもしろさを
人間は求める傾向にあるのかしら?

例えば、生きとし生ける万物「恋心」の伝達には、
ありとあらゆる手段が考え出され、試され、消費されてきました。
詩も歌も、舞も書も、クジャクのそれも、そうだと聞きます。

ビジネスでもおなじ事だと思っています。
売りたい人が、客を買いたい気にさせる。
欲しい人が、売ってもらう状況を作る。

オニギリ1つ売るも買うも、恋心と同じだと定義します。

ならば、今年はエンタテインメント性の高い仕事ぶりを目指そう。

そう決定しました。

美しい名刺交換 とか
犯人を推理したくなる見積価格 とか
感動の嵐を呼ぶ電話の取り方 とか
自分の人生を重ねてしまうメールタイトル とか

となると、今の風を取り入れ続けなければならず、
また、披露の機会も作らねばならず。

これまでのメール至上主義に少し上乗せして、戸外活動も、今年は増えるかと。

追伸
 とはいえ、私、自分に酔いがちなので、要注意.....イタタ

雅治&真凪の「東京日帰り小旅行」

我が家、恒例「満3歳直前東京旅行」

満3歳前日まで、交通機関や各施設入場料が無料だから
と、そんな理由で、詩音の時代からはじまったこの企画。

次女、真凪も、例外なく実施する事となった。

準備

私にとっては、気がかりのタネであった。

長女詩音が3歳前の時期と違い、明らかに一家全員、
生活の様相が変わっており、まったく同じ事が自分の意志だけで
進められなくなっていた。

例えば、自分だけ置いて行かれる事を理解できる姉妹の存在。
(詩音出発の時、真凪は乳児だったので、目立った反応はなかったが
今回は、さすがに詩音の感情の受け止め方に、夫婦して苦慮した)

今回の旅行も、話はずっと頭にあったし、話題にも出てきた。

あるいは、姉妹ともに連れて行くか、それか一家でいくか。

時間は刻々と、満3歳を迎える2004年8月16日にせまる。

1度は、7月29日に計画をした。

仕事先などにも、同日の不在を連絡し始めたところ、
台風の影響があり、8月2日に延期を決定。

しかーし、7月29日まで、航空券片道26200円が
7月30日より、片道32300円なのだった。
(夏期ピーク料金と言うそうな、年間で最高値)
ああ、29日にいけばよかった。

さて、前日8月1日

これまた恒例により、緊急用携帯電話を真凪に装着する練習。
詩音の時も、この同じ電話機を持たせた。

機体に「この子を保護した方は090-・・・へご連絡下さい」
とシールが貼られているのだ。

もしも、迷子になったとき、こちらから電話をかけ、
本人から今居る場所の周囲状況を聞き出そうという計画である。

だが、この作戦、幸い1度も実行されたことがなく、効果は不明のままである。

当日、6:40
前夜、早々に寝かせたのが良かったのか、本人の意識によるものなのか、
「パパと東京タワーにいくんじゃないの?」と問うと、シャッキリ起きあがった。

大分ホーバー

多少の身支度をして、7:00タクシーにて、大分ホーバーへ。

私は、手荷物が嫌いで、旅行でも持たない主義。

とはいえ、真凪の着替えパンツなどで、ポーチ程度にはなった。

真凪お気に入りの、肩掛けポーチに詰め込んで「自分が持つ」と
足取り軽やかにホーバー基地ロビーを闊歩するが、
「パパー、重たいからパパもって」と、出発から15分で荷物係交代。

ホーバー乗船出発は、7:40なので、しばらくはロビーにて待機する。

帰省していた家族が自宅に戻る、と思われるのが数組。
業務利用者なども乗船開始したが、室内はがら空き。

着席は、これも恒例「左窓際最前列」
ここだと、前(ワイパーあるし)も横も、見えるのである。

今日最初のタダ乗り、ホーバークラフト 大人2750円

機体は、「ドリームサファイヤ号」
波もなく、安定した航行で、無事、大分空港ホーバー基地に到着。

このホーバー基地ロビーに、なぜか亀がいる水槽がいて、しばらく、そこでタイムロス。
「飛行機みよう」とキリを付け、長い動く歩道に乗って、ANAカウンターへ。

大分空港出発

ネット予約済みの番号を伝え、航空券を購入。

本日2番目の、タダ乗り、大分東京航空券(大人は32,300円)

搭乗券を受け取り、2Fの出発ロビーに向かうが、チッコ!

私もなれたもんで、さっさと抱えて、男性トイレ洋式に駆け込み
スルスル、ほい!、・・・、デタ、はい、ジャー、と....。

しかし、詩音の時と違って、続いてパパも用足しなのだ。

というのが、
|====(雅治&詩音の「東京日帰り小旅行」より抜粋)
|また、「所用の姿」を見せるべきか否か?という葛藤もある。
|結論として、個室の前に立たせて、戸の透き間から
|離れないことを確認しての所用は、集中できないのである。
|おとなしく、待っていた詩音だった。
|=========
こんな経験が、前回あったため、今回は、同室用足しとなった。

私も、成長?したものだ。

恒例でいうと、このあと、時間までホットドック&コーヒータイムなのだが
真凪もあまり空腹でないというので、手持ちのスナックで時間を過ごす。

私は、「写るんです」を探しに、館内をうろつくがみつからず、
記憶を頼りに、ボディーチェック後の、搭乗口ショップに行く。

ここには、あるのだ。
なぜ、表側にはないんだろう、見つけられなかっただけなのか?

定刻9:00出発に向け、お子様連れや体の不自由な方の優先搭乗に従って
まずは、ボーディングブリッジに向かう。

本日の搭乗機を後ろに記念撮影。

上り飛行機

機体は、B767なので、適度な大きさ、座席は40A 後方左窓側
なので、上り線は富士山が見える側だ。

カウンターで座席指定の際に
「どこでもいいが、子供が一緒なので、周囲に迷惑がかからないような場所に」
とお願いすると、トイレが近く、子供用にも1席あけてくれる。

3歳未満の子供が無料なのは、大人がダッコして乗るのが前提なのである。
なので、ひとり1席で乗せたければ、子供料金(半額)が必要なのだが
ギチギチ満席でない限りは、こういう措置をとってくれるみたいだ。

ただしながら、さすがに3歳未満の子供を一人で乗せて、
大人用のシートベルトを付けさせるには、万一のとき
腹部切断なども考えられるため、離発着時はダッコすることにしている。

## もちろん、ダッコした上に二人してベルトをしないように ##

着席し、真凪はなんだか、様子がわからず、窓の外の他の機体に
目を向け、「あー、ひこうきー」とはしゃいでいる。

そう、乗り物は見てるのと、乗るのでは、ちと意味が違うのだ。
乗っている自分を自分で見ることができない現象が理解できるか?

今日は、風向きの問題か、いつもとは逆向きに滑走して離陸。

雨は降っていないモノの、厚い雲の層を、いくつも通過し
そのたびに、「入ったー、出たー」と、大騒ぎ。

私も気を遣って「ラピュタがいるかな」「姫ねーさま飛んでくるかなー」と
歩み寄りのネタでアプローチするが、彼女は決まって、冷静に
「なんで?」 と返してくる。 トホホ.....。

飛行機の体感重力として、上昇中でも旋回中でもあまり差が無く
機体が左右にロールしていることを、シリで感じるのが難しいが
真凪は窓外の雲の動きから、自分が地表に対して傾斜していることを
把握できるようで、機体がロールするたびに「おっとっとっと」と喜ぶ。

酔わないのだろうか?

水平飛行に移り、機内サービスが始まってすぐに、お子様グッズが届く。
ANAなので、ポケモンネタである。

真凪は、ミニ絵本をすぐに指定した。
(パパは、B767のスケールモデルが欲しかったのに)

オレンジジュースをもらって、手持ちのウエハースをバリバリ食べながら
寝たり起きたりで、やがて静岡上空。

窓の外になにやら三角の黒いものが、真凪にはっきり見えた。
「あれはね、大きなおやまで、名前をふじさん、といいます」
教えたら、気に入ったようで、黒い大きなおやまを認識可能に。

今の時期、頭は白くないし光線の都合で黒く見えたが、
一般的な白い頭で青い富士山の写真や絵を見たときに
同じモノとわかるのは、果たしていつなのか、楽しみである。

次第に、高度がさがり、千葉上空を旋回しながら降下していくと
景色から、ロールを感じ「おっとっとっと」と大騒ぎ。

うみほたるを左に東京湾を滑り降りていく途中、
沿岸開発で、海の色が濁っている境界があって、
「あそこ、色がちがうねー、なんで?」と、しきりに気にしていた。

かなりの振動で、着陸したが、どうも真凪はこの振動が好きなようだ。

羽田空港到着

ほどなく、ゲートに到着し、10:30、いよいよ東京での1日が始まる。

まずは、二人して、チッコ!

長い通路を、動く歩道で移動するが、乗り・降り、を上手にできる自分が
うれしくて、何度も乗り降り。(まあ、ANA到着だと4回はあるな)

モノレール

訪問先1件目は、私の仕事先に顔見せで、(株)キッズ 北原殿
JR浜松町駅から、徒歩10分程度であるため、モノレールで移動。

本日3番目のタダ乗り、モノレール、大人470円

ホームに行くと、出発直前で、空席もあったので、乗り込む。
ANAのゲートから乗り込むと、進行方向最後尾になるわけで。

動きだし、しばらくして地上に出たとき、真凪は
「パパー、なんで、後ろ向きなの?」とおっしゃる。

うーん、確かに疑問だー。

子供の率直な疑問に、その子の年齢のボキャブラリーの範囲で
うまく回答するには、「パソコンは感電する」と信じる人に
Excelを教えられる私にしても、困難だ。

「じゃ、パパの方向いて、だっこしようか」と、解決!
したのか、わからないけども、「パパの方向いて、よかったねー」と、
いまも言ってるところからすると彼女にとっては、解決なのかもしれない。

大井競馬場あたりで、さすがに早起きのリバンウンドで寝てしまう。

JR浜松町に到着し、タクシー乗り場前で、訪問先キッズ北原氏に電話。
ところが、不在のようで、伝言を残す。11:04

気温も高いし、返答がいつになるのかわからないので、予定を変更し、
東京タワーに移動開始。

東京タワー

タワー前で、北原氏から、電話。11:26
もう、移動してしまったことから、再度12:30にアポイント。

抱きかかえたまま、タクシー移動し・展望台チケット購入と、
なにやら、姉詩音とまったく同じ状況となった。

なので、前回とまったく同じように、東京タワービル中2階トイレ前のベンチで
起きるのを待つことに。

なんと、まあ、歴史は繰り返すのか。

ベンチに寝かせて数分でおきて、目に見えたプーさんキャッチャーに
「あー、プーさんがあった」と、大はしゃぎ。

自走も可能なようなので、さっそく、展望台エレベーターに。

本日4番目の、タダ乗り、東京タワー展望台(大人は1,420円)

もぎりのおねえさんから、キャラクター「のっぽん」の缶バッチをもらい
さっそく胸に付ける。

150mまで、一気にあがって、展望台窓際に座らせる。

あまり状況がわからず、しばらくぼーぜん。

TV型の望遠鏡200円を、見たがあまり気に入らず、
旧式100円の望遠鏡がいいとおっしゃるので、そちらに。

それでも、気分がノラず、250m特別展望台に。

詩音の時は、待ち無しで、シラけた雰囲気の特別展望台だったが
今日は、エレベーター5回待ちくらいの混雑。

3組ほど、外国の方もいたが、大半は孫に会いに来た
ジジババ付き家族づれ、かな。

ママにコール

順番がきて、ぎゅーぎゅーに詰め込まれたエレベータに一気にあがり
展望台窓際で、写真をとったら、すぐ降りた。

だって、特別展望台って狭いし、なにもないところだ。

再び、150mまで降りてきて、カフェで、休憩。

真凪は、タワーサンデーとフライポテト、で私はアイスコーヒー

ここでママに電話。12:09
ママと詩音は、石亭(石焼きビビンバ)で昼食中だったらしい。

しばらく、アイスクリームを食べつつ、ケチャップたっぷりポテトを
たべながら(味覚は、どうなのよ?)、休憩。

さて、北原氏のところに移動を開始する。

エレベーターで、地上ビル4Fに到着し、順路を間違えて
屋上プレイランドにでてしまい、遊具でひと遊び。

東京タワービルを後にタクシーめざして、1Fロビーから
表に出ようとしたとき、東京タワーマスコットの
「ノッポン(浴衣バージョン)」が出てきた。

無料のようなので、記念写真をとって、バイバイ。

パパ仕事先に子連れで訪問

タクシーで、北原氏のオフィスがある、芝一丁目へ。
移転後、訪問したことがなく、タクシーのうんちゃんに
住所と、金杉橋というキーワードでさぐりながら移動。

なんだ、自社ビル(親会社)なので、すぐわかって、降車。
ICビル、4Fへ。

北原氏には、事前に次女が同行と、伝えてあったが
社員はわからず、ちいさな子連れがきてます、とケゲンそう。

北原氏と面会かない、1Fのインターネットカフェに。

すかさず、チッコ

真凪には、イチゴヨーグルトを用意してくれたが、
なんだか、果肉イチゴが張り付いているのが気になって飲めず。

しばし、仕事の話などしながら、時折、子供の話題に行ったり来たり。

そこに、インターナショナルクリエイティブ小林社長が通り
ご紹介頂いて、ご挨拶。

お台場の冒険王フリーパス差し上げましょう、お誘い頂いたが
真凪には無理な内容なので、失礼ながら辞退。

13時になっていたので、近所の江戸前天ぷらの店に。

ごま油ぶりぶりの濃い天ぷらでした。

真凪は、ハゼ天と穴子天が、気に入った。
ハゼ天は、大分じゃ、なかなか無いからなー。

私の定食を、1/3ほどたいらげて、麦茶こぼして、お店をあとに。

北原氏と別れ際
「今度、真凪ちゃんのおうちにきていいよー」とバイバイ。
最近の決めゼリフらしい。

京浜東北線

徒歩で、JR浜松町駅に行き、そこから京浜東北線、大森駅に移動。

本日5番目のタダ乗り、京浜東北線、大人160円

「パパ、なんで、電車すわらなかったの?」
「あなた、寝てて、パパにダッコされてたでしょ?」
「そうよねー、よかったよねー」と、なにがよかったのかなー。

しながわ水族館

大森駅から、タクシーで、しながわ水族館に。

ここも、詩音の時と同じコースの1つ。

NISMO本社横を抜けると、品川区民公園があり、
その1施設が、しながわ水族館である。

公園を通り抜けなければ、水族館に入れないので、
暑い中、館内で体力発揮にそなえ、ダッコで移動。

入り口、自動販売機で、チケットを購入。

本日6番目のタダ乗り、しながわ水族館、大人1100円

入ってすぐは、淡水の水槽で。

ここの水族館の水槽の多くは、床近くまであるので
子供の目線でも、真横に魚を見ることができる。

また、下部はベンチになっており、すわって
ガラスにほおずりしながら見られるのである。

詩音がお気に入りだった、東京湾のさかな水槽に
体長30センチくらいのエイが、垂直にこちらに手を振るように
泳いでいる水槽がある。

同じく、お気に入りのようだ。

入館してすぐ、14:30のアシカショーがはじまって、
急いで、ショーエリアにいくが、ここも東京タワーとおなじように
混雑していて、十分に見える場所には近づけなかった。

アシカのフラフープくらい見たはずなのだが、どうだったのだろう?

ショータイムは、そんな感じなので、その終了を待つと
一般展示も混雑するだろうからと、私たち二人は、一般展示に。

また入り口付近まで戻り、水槽を見て回る。

真凪はちいさいという事もあるが、人の間をスルスル抜けて、
最前面まで、あっというまに行き、ガラスに張り付く。

存分に鑑賞したら、またスルスルと帰ってくる。

そんなことを、繰り替えていたら、地下にある、ドーム水槽の
ガラストンネル部分に入る。

ウミガメの大きなのが来たときには、大はしゃぎだ。

詩音と来たときにみた、白いクエも健在で、
同じように、そのクエを背景に写真をとった。

※写ってなかった。

冷水系をぬけ、珊瑚礁の展示には、ナンヨウハギの大小が泳いでおり、
「ドリー、ドリー」と言ってた。

この水族館は、うみたまごとちがって、カクレクマノミは、居なかった。
居たのかもしれないけど、押し出しはなかった。

淡水系の展示は、前回も疑問に思ったが、薄暗く、雷のおとがしており
両生類誕生という黎明期の地球の再現かとおもうが、
小さい子供は、爆泣きが必ず、1〜2名いた。

特別展示に、小笠原諸島展があったが、なぜかコウモリとか
光るキノコとか、水族でない?ような展示だった。

アシカ・イルカプールの地下は、ガラスになっており、横から
見えるわけだが、滞在時間中は、イルカを見ることはなかった。

最終ブロックは、大きなサメがいた。

真凪と比べると、大きな個体だが、わかるかな?

15:00くらいになり、16:00のイルカショーを待つか
迷ったモノの、真凪もかなり疲れてきたようで、口数もすくなく、
このまま1時間、館内ですごすよりか、空港に移動して
少し休ませてから、活動がいいかと、水族館を後にする。

屋外の「クジラのヒレ」モニュメントで記念撮影。

品川区民公園は大きな池?があるのだが、
泳いでいるのは、コイでなく、ボラ、なぜだ。

公園を抜けて、通りにでて、タクシーに。
若干、混雑していたが、なんとか空港に。

羽田空港出発

車に乗り込んだ時点で、倒れてしまった真凪は、
そのまま、抱えられ、空港内に入る。

時計をみると、16:00過ぎ。

フライトの18:20までは、かなりあるので、
繰り上げ変更の可能性を検討するが、都合のいい時間のがなく
予定通りの搭乗とする。

さて、どうしたもんかと、ひとまずは、座る場所をさがそうと、
手続きカウンターまえのベンチを、見回すが、
さすがに、人が多く、穴場に移動。

ガレリアの上の階に、レストラン街があるが、
その滑走路側に面したレストラン左右に、非常口にむかう
通路があり、そこにはトイレがある、そしてベンチがある。

ようやく、そこに真凪を横にさせて、しばらく寝かせる。

まるで、浮浪者か?

大分に状況をメールし、空港お迎えにする。

1時間ほど寝かせるつもりだったが、30分ほどで、起きた。

おなか空いたということで、「なにがいい」と聞くと、
「お寿司」とのこと。

都合良く、寝てたベンチのある裏隣は、寿司屋である。

さっそく、店に入り、真凪はジュニア寿司
お子様ランチというところだが、おもちゃ付きを
真凪は、見本で見ていた。

江戸前寿司ということだが、最近、まれにみる、
うまくない寿司だった。

羽田空港で寿司の時は、いつも旧JAS側の2F寿司岩なので
ここは初めてなのだが、いやはや。

ひとしきり、二人でたべたあと、帰り際に
おかみさんが、「あ、おもちゃあります、これどうぞ」と、
銀のプラメッキの髪飾り・クシ・鏡もどき、のセット。

これとまったく同じもの、大分の宅配寿司「銀の皿」の
子供寿司のおまけで、先日、手にしたばかり。

日本全国、寿司屋のおまけは、このセットなのかしら?

空腹が解消された真凪は、エンジン全開。

ガレリア最上階は、結婚式場など有り、イベントスペースになっているが、
この日は「ロボット展」が開催されていた。

もちろん、AIBOや会話をするキティーなど、もろもろが勢揃い。

番犬ロボットに握手を、とおねえさんにいわれ、手を出したら、
ググッと動いて、退いてしまう真凪。

そういえば、このロボット、福岡リバレインで見たぞ。

おもしろくないので、
2Fのトイショップに、真凪から詩音へのおみやげを選びに。

ディズニー中心だったのに、ハリーポッターやら、何でもアリの店になってた。

あれこれウロウロした結果、ディズニー・マリー・マグカップに決定
真凪、自分のは、ストロー付き姫マグカップ。

パパからは、ふたりにプーさんのワンピースを。

買い物をして、ロビーにでると、なにかわからないが、
大きなクジラ?のアド風船があるので、それを背景に最後の記念写真。

1Fの食品館で、ママ用焼き芋きんつばを、1セット購入。

ボディーチェックで、携帯などは、土産物バックに移して電源OFF
鍵や硬貨は、面倒なので、ポケットにいれたままで。

二人で、検査機を通過したら、「ピンポーン」
「あー、鍵、ポケットでした」と、下手に出るお父さん。

でも実は、真凪が胸に付けていた、東京タワーの缶バッチだった。

私は、無関係の犯人捜査に、違う件できりだし自爆するキャラなのか.....?

到着時と同じく、長い長い動く歩道を乗り継ぎ、ANAバスターミナルに。

幼稚園向け土産に、空飛ぶデカドラを購入し、本日の買い物最後。

下り飛行機

バスターミナルに行くと、もう搭乗が始まっており、
早々に、バスに乗り込み、搭乗機へ。

本日7番目の、タダ乗り、東京大分航空券(大人は32,300円)

帰りも同じく、カウンターで、「子供が迷惑を・・・・」と
右窓側最後尾に、座席を構えた。

順調に滑走し、上昇に入ったら、窓の外に大きな黒いおやまが。
「あー、大きな黒いふじさんが」と、大はしゃぎ。

8時間ぶり?くらいで、富士山と再会。

下に見える町並みに、機体の傾きを感じて
「おっとっとっと」と、言いながら、高度を増し、
やがて、水平飛行に。

機内サービスに先立ち、お子様グッズが届くが
またしても、朝と同じ、ポケモンのミニ絵本を選ぶ。

別に、詩音におみやげにと、同じモノを選んだのではなく、
単に目についたモノで、ほしかったモノがそれ、という、
真凪の中の選択システムが、安定した動作をしたということか。

お飲み物のサービスで、「おじょうちゃんは何にしますか?」
という問いに「お茶」と応える、渋い2歳児。

お茶を飲みつつ、コーヒービーンを3つづつもらっては食べて
絵本見て、うとうとして、チッコして、やがて機体は降下体制に。

そこで事件は、起こった。

機長の許可

小刻みな揺れの中、雲に出入りを繰り返しながら、
機内もシンと静まりかえっていた。

私の隣の小さな姫様は、「チッコ」と、おっしゃる。

漏らしては大変、と抱きかかえ、立ち上がる私。

機内の6人のキャビンアテンダント(CA)に緊張が走り、
すぐそばのCAが、事情を察知して
「着陸までもちませんか?」
「うーん、ムリでしょう、トイレ、ダメですか?」
「・・・わかりました、機長に確認します」

最後尾のインターフォンから、チーフパーサーに
事情が伝えられ、たぶんにそこから機長へ。

1分もかからなかったと思うが、
「お客様、いまから2分ほどは気流が安定するので
機長から、特別に許可がでました、お急ぎください」

座席が最後尾なので、立ち上がり、振り向けばトイレである。

しかし、着陸のため使用しない前提のその場は、積み出し廃棄物などが収納されてた。

CAが、それを即座に片づけ、大きなお父さんと小さな娘さんは
狭い狭い化粧室に入る。

大騒ぎの割には、・・・チョロ・・・・デタ と、小降り。

「急がせてすみません」とCAの指示で、速やかに座席に。

CA6人が、完了のサインを、親指立てて、連絡する。
私も、参加しようと思ったが、やめた。

ふと、壁面をみると、プロジェクターに屋外映像が出ていたので
そのくらいの着陸高度だったと、あとでわかった。
(そりゃ、機長の特別許可だわなー)

前方カメラ映像に、着陸誘導灯が映し出され、滑走路が近づくにつれ
真凪のドキドキは高まって、着陸の衝撃で、窮するかと思えば
「わーい」だって。

どうも、着陸の上下の振動が大好きになったようだ。

大分空港到着

機体が停止し、最後尾から通路を移動するさいに
CAから「またね」と言われ、
「今度、真凪ちゃんのおうちにきていいよー」とバイバイ。
最近の決めゼリフらしい。
CAは「ほんとにいいの!」と、大喜び。
そんなこと言うお子様は、そういないか。

到着ロビーを歩きながら、自分のポーチを持つといい、首にかける。

階段をおりて、ガラス越しに、詩音やママの姿をみて、そちらに駆け出す
「おい、そっちじゃ出られないから、こっちきて」と引き戻され。

「うたねちゃーん!」と、絶叫し、13時間ぶり、4人そろう。

我が家恒例の「満3歳直前東京旅行:真凪編」無事終了。

これは、いつまでも続くのだろうか?

To Be Continued…….. Thank you!!

2003年に向けて

☆2003年を迎えるにあたり☆

2003年、年男(36歳)です。

昨年は、システム事業・ITスクール事業・主夫(パパ)業、それぞれ
自分の中では、合格ラインでいけたとおもっております。

どちらかといえば、それらの任務より、子供たちが周囲を吸収し
成長することのシステムに興味をおぼえて、観察という名の
怠惰な日々であったのかもしれません。

貴重な経験の1つに、習作「海辺の小瓶(出会い系サイト)」で
名誉毀損事件が発生し、警察署に供述調書を提出したことですね。

また、doクラフトは12月25日に13周年を迎え14年目にはいりました。
(実質は、baba@docom.co.jp というネットサーバーでしか残っていませんが)

その13年間で出会った中、30もの会社が倒産などで無くなっていきました。

共に徹夜したり、馬鹿笑いして飲みながら未来を語り合った友人も含まれます。

そんな友人の苦労を話しでしか理解できなかった間に、私は
小規模でなんとか回る地位を得ており、現状、収支共に安定しております。

もちろん、みなさまとの環境下故、いまがあったと思い、
せめて社会に恩返しだと、技術・精神の継承に、ITスクールを開講しましたが
順調に卒業生が素立つ度に、「もう一度、しっかりと作品を残したい」と欲もでてきました。

でも言い換えれば、お金と責任の壁を乗り切れなかった友人たちと共感できる
同じ土俵に立ちたいがため、今更「稼ぎ」に挑戦したいと、青臭い感情かもしれません。

なんのために、doクラフトを起業したのか?
もしくは、サラリーマンを辞めてまで、したかったことはなんだったのか?

思い起こせば、自分の主義主張と手応え感ではなかったかと思われます。

なんてことを、ボツボツ考えながら、2003年は、ちと
仕事をしようとおもっています。

家業関係も、今年は、監査役を拝命し、楽しみにしております。

また、10年近く、関わってきました、美術・芸術を
本格的に応援するたために、NPO法人を設立しました。

特定非営利活動法人エンジョイターミナル
http://www.pref.oita.jp/13010/37jokyo/37npojokyo.htm 66番

今年も、自分を信じて、「やっぱオマエはそうだよな」と言われるよう
やっていきたいとおもいます。


☆2003年のキーワード☆

2003年(36歳年男) 年間指針

キーワードは、
・手応え
・金儲け
・主義主張
・コミュニケーション

の4つをテーマにやっていこうと考えております。

・手応え
 手応え感が、最高の報酬と考えています。
 人も、あるいは草木動物も、手応えを求めて日々があると思っています。
 私も、ずっと手応え感を求めて生きてきました。
 拍手や誉められることを期待して、時にはモテたいがために。
 社会に参加し、少人数だとしても会社組織を考える立場に求められるのは
 利益向上であることは周知の事実で、私の苦い過去の経験上、
 それを追求するのを、これまで避けてきていました。

・金儲け
 doクラフトの看板で、この13年の間に、30もの関係先が消滅しました。
 そのほとんどが、お金と責任の問題によるものと思われます。
 そんなに「金を稼げるやつがエライ」のか?と、愛情主義できておりましたが
 そんなことでいいのならやってみるか?と、いつもののノリで、
 いまさら金儲けを実践していく年にしたいと思います。

・主義主張
 これまで自分自身を商品として生活をしてきました。
 今後もそうであるなら、商品の特性やメリット・デメリット・機能・用途など
 明確に提示する必要があり、それは私の主義主張に等しいと考えています。
 私自身の主義主張に加え、私がやろうとしていること、
 あるいは興味を持っていることも、きちんと説明する責任があると
 感じており、その機会を設けることや、手法を確立したいと考えています。

・コミュニケーション
 自分という商品を売る事を生業にするのであれば、
 売り込みとアフターメインテナンスをしっかりと体制すべきですが
 商品の性格上、メリットを生かせるお客様にしかお売りできません。
 そのためには、私自身をしっかりと理解してもらえるよう、
 また商品が性能を十二分に発揮できるよう、お客様を理解する事が不可欠です。
 主義主張言いっぱなし手法はワンウエイのつながりであり問題も多いなら、
 話をし、話を聞き、見て、見せて、味わい、触れ、感じ取る双方生を積極的にやっていきます。
 そのために、従来のデジタルネットワークも効果的に使用しながら、
 歴史的・日本的に有効とされるコミュニケーション手段も、研究あるいは実際に
 着手することも、この2003年の大きなテーマだと考えています。


2003年は、

手応え感を得るために、取得利益向上を目指し、
主義主張(商品ラインナップ)を明確にして
コミュニケーション(セールスプロモーション)を行う。

そういう1年にしていきます。

雅治&詩音の「東京日帰り小旅行」

我が家では、

子供たち

満3歳前の公共交通機関
無料までの間に、

パパと二人で、
東京タワーにいく慣例がある。

きっかけ

それは、突然の決定だった。

9日の夜、4人で近所の居酒屋「若大将」で飲食の中、話題に出てきた。

「詩音ちゃん、来月で3歳かー」「ああ、飛行機が有料になる」
「なら、それまでに、飛行機のろうかなー」
「のるぅ、飛行機のるうー」

以前から、飛行機に乗りたいと、願っていた詩音であった。

6ヶ月くらいの時、曾祖父の授賞式の為に、
2泊3日で、東京経験がある彼女だが、
自分の意識の中では、記憶にないのかもしれない。

5月9〜12日で、東京ビックサイト(国際展示場)で
おもちゃショー(おもちゃのメーカが新作を発表する展示会)が
開催されており、雅治は毎年、それを見に行きたいと考えていた。

「じゃ、詩音ちゃん、それにいこうか!」と10日の日帰り東京行きを決定。

飛行機の空席状況をインターネットで確認し、
朝8:30大分発と夕方18:55羽田発を確認した。

おもちゃショーは、11・12日に、一般公開されて、
業者でなくても、入場が可能だが、10日は、おもちゃ販売業者が
メーカーと仕入の話する商談日であり、入れない。

そこで、仕事の関係先にネゴして、10日に入れるように
パスを欲しいと依頼するが、「パスはあるけど、子供はだめだ」
という回答であった。

つまり、本来の目的だった、「おもちゃショーの見学」は不可能となり
雅治と詩音が、東京に行く意味は、消え失せたのである。

とはいうものの、詩音は「飛行機、ひこうきー」と言い続けるし
まあ、雅治も、行けば仕事先への顔出しなど、要件がなくもない。

そこで、インターネットで再度、空席を確認して、予約を入れる。

この時点で、大きな問題は、
(1)なにをしに、いくのだろう?
(2)詩音(雅治)が、朝6:00に起きれるのか?
(3)大人でもキツイ、東京日帰りに詩音は大丈夫か?
であった。

さらには、迷子や行方不明などの事故に巻き込まれないようにしなければ。

深夜だというのに、その迷子対策などを、手配する。

まずは、雅治が何台も持っている携帯電話の1つを
詩音の緊急連絡用にして、こちらからかけたら、詩音が出る練習。
「ピピピピ」「もしもし」「詩音ちゃん、いまどこ?」
「あのねー、あのねー、テレビみてるの」「・・・・・」
果たして、役に立つのだろうか。

次の対策は、その携帯電話にシールを貼った。
「この子を保護した方は090-3737-6512へご連絡ください。」
雅治の携帯電話を明記した。
果たして、役に立つのだろうか。

交換おむつバックや、小銭や、ウエットティッシュなどなど。

すっかり、準備が終わって、寝たのは、2:00を過ぎていた。

いろいろと、疑問もあるが、「詩音が飛行機タダだから」という
理由を信じて眠りに就き、やがて、朝を迎えた。

出発

6:00、一足先に起きて、現在の現地天候を
TVやインターネットで確認する。

いま、日本全国、あちらこちらにインターネットから
見ることができる、監視カメラが多くあり、
現在の現地の様子を、そのまま見ることが可能である。

大分ホーバーが、7:15の為、7:00ホーバー基地着を目指して、
お見送りの佐和子・真凪も起きる。

心配された詩音も、着替えさせている間に、目をさまし、
自走によって、車に乗り込んだ。

大分ホーバー

朝2番のホーバーなので、混雑もなく、
今日最初のタダ乗り、ホーバークラフト 大人2750円
ちなみに、保護者は、有料なのである、当たり前だ。

窓際にすわり、基地の窓から、手を振る佐和子・真凪に
こちらも答えて、定刻出発。

雨だったので、海上はまったく視界が通らず、
なにも面白みはないが、波風の一切無い状態は幸い。
(真さに、凪?)

空港側基地に、到着し、ながーい歩く歩道で、
他の乗客はその上でも歩くため、私ら二人は
あっという間に、取り残されてしまう。

大分空港出発

8時ちょっと前に、JASカウンターに到着し、
インターネットで予約の通り、2人分の搭乗券を手にする。
本日2番目の、タダ乗り。(大人は21,900円)

出発カウンターで、ホットドックと飲料を二人でとる。
詩音はソーセージで、雅治は残ったパンを食べる。

ここで、大問題。
雅治が、トイレ(大)に行きたくなったが、どうしたものか?
ロビーに待たせておくのも、問題があるし。
かといって、一緒に個室に入れる大きさでもなし。
また、「所用の姿」を見せるべきか否か?という葛藤もある。

結論として、個室の前に立たせて、戸の透き間から
離れないことを確認しての所用は、集中できないのである。
おとなしく、待っていた詩音だった。

搭乗時間も近いので、携帯電話をはずしたりとゲートを
くぐり、いよいよ、出発が近づく。

売店で、写るんです・飲料・ハイチューイチゴを、購入した。

チケットゲートを、自分で差し込み、半券ももらって、
ボーディングブリッジにすすむ。

途中で、本日搭乗の機体を背景に記念写真。

上り飛行機

飛行機側の配慮なのか、本来、1席2名で座るべきところを
横の席を空席にしておいてくれた。
離発着の際はしっかりと、抱きかかえていなければならないが
水平飛行中は、詩音も、1座席にすわって、機内サービスの
アップルジュースと、おみやげにもらった「ゼンマイ人形」で
ご機嫌の、1時間20分でした。

羽田空港到着

羽田に到着し、まずは、詩音からママに到着コール。
「もしもし、あのね、飛行機のったー」

モノレール

羽田から、モノレールにのって、浜松町まで移動。

3番目のタダ乗り、モノレール、大人470円

ところが、整備場駅(地上にでた辺り)で、眠ってしまい、
せっかくのモノレールを、知らぬまに、浜松町へ、結局、起きず。

東京タワー

タクシーで、目的地の1つ、東京タワーに移動、まだ起きず。

東京タワーに到着して、エレベータ前のロビーに入るが、まだ起きず。

そこで、しばらく階段の途中にあるベンチで、起きるのを待つ。

10分ほどして、目を覚ましたので、入場券を買う
4番目のただ乗り東京タワー入場券、大人1900円

150mまで登り、あいにくの雨模様の東京を一望するが、
「・・こわい....」らしい、窓から離れてしまう。

東京タワー、失敗か? と、窓に近づかないように、展望台内をまわると
TVカメラ型の双眼鏡を発見、TVの両側にハンドルがあり、
それを、回すと、その方向がTVに写るのである。

それが、気に入って、景色になれてくると、窓も怖くなくなったようだ。

窓際にすわって、写真もOK。

続いて、最近開設された、地上250m展望台へ。
5番目の、ただ乗り、250mエレベータ 大人600円
そういえばそうなのだが、このエレベータは外にあるのだ。
つまり、エレベータのボックスの外は、外気であり、
雨であれば、びしょぬれであるが、なんと、室内に
雨漏りをするのである、たいしたものだ。

さて、上がってはみるものの、150mも250mも、景色は変わらず
あまり、面白くもないので、すぐに降りる。

ママにコール

150m展望台に戻り、お昼ゴハン、
チーズハムサンドと、オレンジジュースで、一休み。
ここで、ママにコール、理事長先生は役員会だったようだ。

修学旅行も多いので、紛れないように、地上施設へと降りる。

3Fに常設されている、不思議なアート展にはいり、
東京タワーのマスコットキャラクタ「のっぽん」と記念撮影。

でも、その他、飛び出すゴリラや、逆さに見える絵など作品は
「怖い」ということで、早々に退出。

次の目的地、「しながわ水族館」にタクシーで移動。

車内で寝てくれればいいのに、と思うが、ずっとゴロゴロしてた。

しながわ水族館

大森の日産NISMO本社前で、タクシーをおり、
しながわ区民公園という、かなり広い敷地の中にある水族館で、
大分銀行本店<=>パルコ、程度の距離を、雨の降りしきる中
抱っこして、歩くことになる。

なぜなら、傘をさして、手を引くと、背の高さがあまりに
違うので、詩音は傘の効果が得られないのである。

とはいえ、噴水があったり人工池があったりして
整備された公園を、雨のしっとりとした中に
歩くのは、ちと気持ちもいい。

6番目のタダ乗り、水族館入場  大人1100円

入ってからは、淡水・沿岸・湾内と、それぞれの生息域を
分けられた水槽で、大分のマリーンパレスとちがい、
足下から水槽が位置しており、子供の目線でも
魚の泳ぐ姿を真横から見ることができる。

詩音も大喜びである。

沿岸の水槽に、20センチほどのアカエイがひらひらとしているのが
面白く、白い腹をこちらに向けて垂直におよいでいると
手のひらがこちらに向かってバイバイをしているように見え
詩音も「おさかなさん、バイバぁイ」としている。

アザラシもいたのだが、あまり興味を示さず。

ここの水族館は、大きな水槽の上からの観察と
ドームトンネルで下からも見ることができる。

ちょうど、ウミガメ用に、ワカメを与えていたのだが
詩音には、それが野菜にみえたらしく
「かめさん、おやさい、たべなさい」と、アドバイス?!

クエなど、詩音より大きなさかなもいるのが、横から下から上からと
見えるたびに、「おーきーぃー」と、感激の様子。

順路としては、冷水系(北海のさかなたち)でエビなどをみたが、
あまり気にめさないようで。

タコや針千本などもダメ、珊瑚礁のきれいな水槽もあまり気にならず。

熱帯コーナーでは、演出上、部屋が暗くなったり落雷の音が怖くて
ピラルクとは大きなモノが多かった、早々に出てくる。

今回、なんといっても、お気に入りは、イルカであった。

ここは、イルカのショーがあるが、ショープールは
そのままイルカ水槽になっている。

もちろん、ショーの会場には、時間以外も入ることができ
イルカが泳いでいる姿を、見ることが出来るし、
地下の部分もガラス張りになっており、水中で、
イルカが目の前を横切る姿を、見ることが可能である。

詩音は、「くじらさん」と言うが、たいそうお気に入り。

一通り、施設内を見て回ったあとに、
グッドタイミングで、イルカショーが始まった。

屋外なため、雨の中のショータイムだったが
会場の前列は屋根が無いため、誰も座っておらず、
雅治&詩音は、わざわざ傘を掲げて最前列に陣取る。

この日は、幼稚園と障害児、老人ホームなどが
団体で見学に来ており、平日ながら会場は満員。
(最前列は誰もいないけど)

イルカが飛んだり、まわったりするのに、詩音も大喜び。
会場が拍手に包まれると喜んでたが、その雰囲気も楽しかったのかな。

会場のお約束で、ハイジャンプの着水で、しぶきがかかりますよ!
との事であったが、二人は傘があるので、よけて大丈夫。

なめてかかっていた、傘無し見学者は、濡れるのを避けるため
下がった位置に座っていたのに、大きなしぶきにずぶぬれ。

大きなお父さんと小さなお嬢さんの二人は、器用に傘を動かし
どしゃぶりのようなしぶきをかわしていたのであった。

銀座行軍

一時間後に、アシカショーも控えていたが、
ちょっと、きつくなってきたようなので、
水族館をあとにした。

そう、水族館での出来事で、幼稚園児の団体は
移動中に、強力な結束で、手をつないでいた。
その長蛇の列は、消して切れることがないため、
一度、進路を遮られてしまうと、待つしかない、
と、貴重な体験をしたことを付け加えておく。

来館の時と、逆の道順で、詩音を抱えたまま、公園を通り
幹線道路にで、タクシーで、銀座まで。

30分程度の移動中であったが、この間に、少し
睡眠してくれれば、いいのに、と思った通り、
詩音は寝てしまった。

これが、雅治にとって、試練の始まりだとは、
この時点で気づくはずもなかった。

港区を抜けて、中央区にはいり、銀座4丁目交差点が
近づくので、詩音を起こそうとするが、起きない。

やがて、三越前に到着し、抱えたまま降りて、銀座三越に入る。

デパート内のどこかのベンチで、休んでおけばまた起きるであろう
と思っていたが、東京には、ベンチはないのである。

かといって、カフェは、狭っくるしい小さなイスとテーブルばかりで、
子供を抱えたまま、ゆっくり出来る場所は、普通にはないのである。

座りも出来ず、抱えたまま、地下のイートインスタンドで
飯でも食おうと思ったら、三越はまだイートインは1軒もなく
困ったところに、すこし、目が覚めた詩音。

「三越しかありません」という生チョコがあったので
「詩音ちゃん、これママに買おっか?」「うん」
と、あいずちしたかとおもうと、また寝てしまった。

チョコの紙袋をさげて、荷物ももって、詩音ももって
雅治の銀座行軍は、帰りの飛行機の時間も考慮して
このまま、銀座三越から有楽町駅まで歩くことを決意するのである。

幸いにも、銀座は、どの方向にも地下道があり、
雨に濡れることはなかったけども、蒸し暑さと
詩音の体温もあって、あつくてあつくて。

どうにかして、座れるところはないか、と
道すがら、レストランやカフェの広そうなところを探すが、
まったくなく、このままでは、互いに体力の消耗は避けられない。

そこで、どうすれば、詩音を横にできるのか?考えた結果
座敷がある店を探すことにし、好都合に、目の前にはそば屋があった。

そば屋なら、座敷はあるので、店に飛び込み、おばちゃんに
「座敷いいかな?」と、案内してもらう。
昼飯時を大きく過ぎた15時くらいなので、OKだった。

タタミに置くと同時に、詩音は起きてしまい、
起きだちの大泣きで、店内響き渡る。

すぐに、ハイチューを口にいれて、静かになる。

天重も食べたかわからないまま、店をあとにして、
有楽町マリオンにはいり、トイレでおむつ交換。

移動中の、エレベーターやエスカレータでは
だっこされ、肩越しに後ろの人と仲良くなり、
「ばいばーい」と、にぎやかな、もんで。

駅前の「マツモトキヨシ」によってみたが、何もなく。
と思ったら、アガリクスのパッケージをもって出てくる。
「ちょっと詩音ちゃん、戻してきなさい」
どうも、パッケージにアガリクスの写真がのっているが
「きのこの山チョコレート」などにも見えて、
お菓子かと思ったのか?

山手線

有楽町から浜松町まで、山手線で移動する。

7番目のタダ乗り 山手線 大人130円

浜松町に到着し、ホームに降り立つと
となりの線路が、京浜東北線・東海道線・新幹線など複数あり
「あ、詩音ちゃん電車きたー」「ばいばーい」
「あ、詩音ちゃん新幹線きたー」「ばいばーい」
「あ、詩音ちゃん電車きたー」「ばいばーい」
「あ、詩音ちゃん新幹線きたー」「ばいばーい」
「あ、詩音ちゃん電車きたー」「ばいばーい」
と、当然のことながら、切れるはずもなく、しばらく
二人は、その場で手を振り続けることになる。

飽きてしまい、改札を通って、6時間ぶりくらいの
東京モノレールに。

8番目のタダ乗り モノレール 大人470円

席に座るため、一台乗り越し、次の便にふたりでゆっくりと座る。

今度は、寝ることなく、羽田まで、景色を楽しんだ。

羽田空港出発

羽田について、おみやげコーナーに、プレイステーション2と
操縦桿型のJETでGOを発見して、それで遊ぶ。

電車もそうだったが、詩音は、実は運転したかったのか?
でも飛行機は、大人になってもそう簡単に運転できないのだけど。

JASカウンターで、チェックイン
本日9番目の、タダ乗り。(大人は21,900円)

さすがに、お腹もすいてきて、「おうどんたべたーい」とこと。

うどん屋で、結構食べたら、元気も回復し。
空港ビル屋上の、展望台にあがり、ディズニー50周年JETを見送る。

ショップ街で、まなぎちゃんのおみやげをさがすが、
イーヨーのぬいぐるみに決定。

まだ、しばらく時間があるので、カフェでアイスクリームをするけど
そろそろ疲れてきたのか、文句が多くなる。

搭乗開始まで、もう30分前にちかづき、ボディーチェックを通る。

ママのお使いで、お菓子を買いに、端から端まで移動する。

そんなこんなで、時間もちかづき、バスターミナルに移動すると、
もう、搭乗の開始のアナウンス。

小さいお子様をお連れの方は、優先的にご案内します、
って、窓口にいったら、もう、関係なしに、乗り込み開始。

しかたなく、最後までまっていると、バスの最後に乗り込むことになったが
乗り込んで、狭い車内に入り込み、詩音が叫ぶ。
「いいよー、ドアしめて、いいよー、しめていいよー」
周囲、おかしくてたまらず、笑い出すひとも。

すると、そばの方が、詩音に席を譲ってくれたが、
一人では座らないと、雅治から離れないため、もう1方も席をたち
「お父さんも、一緒にどうぞ」と、譲ってくださった。

ギュウギュウ状態の車内で、親切もありがたいが、
大きなお父さんは、移動も大変で、かなりの方に
協力をいただいて、譲られた席に座る二人だった。

下り飛行機

機内に乗り込み、誘導灯がきれいとか、言っていたが
飛び上がってすぐに、寝てしまう詩音。

1時間35分間、ずっと寝ていました。

大分空港到着

着陸のショックで、目をさまし、ボーディングブリッジを
歩いている最中に、起きた。

到着ロビーで、お迎えのママをみて、14時間ぶりの感激の再開。

4人が揃ったところで、帰宅の途についた。

雅治&詩音の「東京日帰り小旅行」は、14時間の間に
陸・海・空の、それぞれの交通手段を乗り継いで行きながら
「無事に帰宅」というおみやげを持って幕を閉じたのだった。

To Be Continued…….. Thank you!!

次女「真凪」の誕生

39週間、母親の胎内で過ごしてきた事から歴史を刻み始める。

生まれたその夜に、父・母・姉と1つの部屋で過ごす中で、

姉 詩音の大きな声に驚くでもなく、まるで風も波もない

静かな水面の様に、目を閉じて眠っている。

生まれ出て、4人家族になったのではなく、胎内にいる

時から、4人であったと、改めて気付かされました。

すると、真凪は、この数ヶ月の3人の会話を聞いていた

ということでしょうね。

ママが体重コントロールに大変な思いをしたのも。

お姉ちゃんがトムとジェリーを見ないと寝ない事も。

パパの「産まれるまで禁酒宣言」がウソだったことも。

産声も静かに生まれ出て、姉がそばで騒いでいようと、

淡々と自分のペースで、これからも過ごすのでしょう。

それは、まさ(真)に凪のようだと、感じました。

※凪(なぎ):海で風がなく波が静かな状態

[旺文社国語辞典より]
個性派揃いの山崎家に、また新キャラクターの参加です。

メダルを狙えるファミリーを目指して.....。

長女「詩音」の誕生

どちらが佐和子・詩音か判るか?

ふたりの赤ちゃん。

佐和子と詩音

どちらか、判りますか?

生まれる前に

最初は、メロディーから、できました。

や・ま・さ・き を口にだし、耳にきくと、

ド・ミ・レ・ド の音階に聞こえます。

そして、この後に続く、名前の部分が、
ま・さ・は・る
レ・ミ・ド・レ

さ・わ・こ
レ・ミ・ド

という、音階で構成されるわけで、
この子は、音階として、上がっていく感じの
名前がよいな、と思っておりました。

それと、3文字がよいな、とも思っていました。

これが、この春、4月くらいかな、そう決めていました。

そうそう、それまでに、女の子であるとの、情報があり、
気持ちは、女の子向け、ネーミングとして、うごいていきます。

3文字で、上がっていく音階となると、ド・レ・ミ、
レ・ミ・ファ、ミ・ファ・ソ、など、たくさんできますが、

や・ま・さ・き(ド・ミ・レ・ド)に続いて、心地よい
メロディーは、ドが重ならない方がよく、
また、ドに続いて、あまりに高音に飛ぶのも、おかしな
もんだと、実際に、なんども、ピアノを弾いて、一番
しっくり来るものを、探しました。

結果、レ・ミ・ファ、の3音になりました。

このメロディーが、きまった段階で、あまりにレ・ミ・ファという
音名から離れられず、”れ”から始まる名前や、
え行(レ)、い行(ミ)、あ行(ファ)にこだわりすぎ、
れみなちゃん、れいなちゃん、ということに成りつつありました。

それで、しばらく、頭を悩める時間が、過ぎていきました。
5月の連休明けの時期でしたか。

分娩の理論からすると、予定日(6月16日)よりも、30日早くても
まったくおかしくはないとすれば、すぐにでも、決めておかねばならず、
ドキドキの日々が続き、佐和子から、「名前は?」と聞かれるたびに、
わはは、と、やり過ごしておりました。

出産当日

さて、時は、一気に、6月12日、出産当日に飛びます。

結果、決められてはいないまま、当日を迎えるのでありました。

佐和子を、病院に入れ、病室にて、計測器など、装着し、ひとまずは、
その時を待つ、という状態の中で、おなかの中から、なにやら
メッセージが聞こえてきます。

計測器につながれたマイクから拾った、おなかの中の、ちいさな
心臓の音が、部屋中に、こだまします。

1分間に、約140〜160回、リズミカルに、戸切もなく、打ち続けます。

30分ほど、そのリズムに耳を、傾けていたのですが、それは、
おなかの中からのメッセージなんだろうな、と思い、メロディーも決まって
この子は、リズムも決めて、あとは、詩だけなんだなー、と
そのリズムに乗って、考えていました。

本格的入院に必要な装備をとりに、ひとまず、私は、自宅に帰ります。
その道すがら、先程のリズムと、メロディーを、思い出しながら、
「そうか、音名と、音とは違うわな」と、気がつき、
上がる音の組み合わせを考えることにしました。

母音あ・い・う・え・お、のなかで、
あ<い い>う う<え え>お と、なるほど、母音にも
上がるような音、下がるような音ってあるんだと、気がつきました。

これを組み合わせると、佐和子、は、あ・あ・お となります、
”お”は、前の音から下がりますから、??子と付く名前は、却下
などと、しぼっていくと

う行:うくすつぬふむる
あ行:あかさたなはまやらわ
え行:えけせてねへめれ

という、う・あ・え、という母音順に決まりました。

では、この組み合わせを、全部、作るわけですが、
8×10×8の組み合わせは、640種類の名前ができます。

これは、大変。

そこで、女の子の名前ではなさそうな、音を減らします。

え行で、け・て・へ はないだろう?ということで、いろいろ削ります。

初対面

荷物をもって、病室にもどってから、さっそく荷物から
VAIOを出して、エクセルで、組み合わせ表を作ります。

佐和子の陣痛をさすりながら、あれこれ考えてみるのですが、
どうも、たくさんありすぎて、焦点がさだまりません。

そうこうするうちに、12:00を過ぎて、看護婦さんから、
分娩室に入ります、とのこと。

ありゃ、おおごとだ、と、いうことで、カメラ器材をもって、
分娩室に。

結局、この時点で、決まらぬまま。

分娩室では、先程の計測器から、また、音が出ています。

一生懸命、時間を進んでいく佐和子を見ながら、待ちます。

そして、13:02、元気な歌声とともに、10憶年の
進化を一瞬に通り越し、誕生しました。

歌声・リズム・メロディーと、いうキーワードが、頭に残り、
部屋に戻った時点で、VAIOを見直すと、比較的
最初の方に、「う・た・ね」という組み合わせが目に入りました。

唄・音色・詩・歌 ・・・・そうだ、この子は、うたねちゃんだ。

そこで、佐和子と、山崎に重ねて、作ってみた、うたねの文字面

山崎詩音  山崎歌音

二人の結論は、「詩音」に決定。

めでたく、この子は、詩音(うたね)に、決まったのです。

こじつけながら

この名前に、なんの願いがあるのか、ということも実は
こじつけながら、ありまして。

「詩」は、人の心を作り、人の心を伝える、
詩を作るのは、人間だけである、と思っております。
そこには、歴史であったり感情であったり、時事風物など
人間のありとあらゆる営みが表現されます。
つまり、詩とは文化であり、人間という種がもつ
特別な能力であり、そして知恵と知識の集合をさします。
詩というものを、生まれながら名にもつことは
人類の知能英知を、生まれながらにして
持っているという証である、との願いがあります。

「音」は、生きとし生ける万物共通のメッセージ
詩は人間の象徴ということに反して、音は
地球上、万物に共通するものです。
けものも、虫も草木も、音を発し、音を感じます。
あるいは、水や石や砂、空気も、音を持っています。
音を理解するものは、すべての物に共通の
コミュニケーションを行えるに等しいと思っています。

詩と音、それを名に持つ、山崎詩音(うたね)は、
人類の文化を、感じ、作り、伝えながら、
地球上、人類だけに限らず、音とともに、すべての万物と
コミュニケーションを、保ちながら、未来に向け、
歩んでもらいたいのです。

また、これからの国際社会、詩音という文字の美しさは
ポエムを詩(うた)と発音し、音(おと)を、ね、と発する
日本の文化を象徴しており、いずれの国にてでも、
名の美しさ、日本らしさを、歓迎されると思っています。

また、その文字の意味も、いずれの国にも、存在する
ポエム(詩)、サウンド(音)、であり、
国際名としても恥ずこと無い、名前でしょう。

また、余談ですが、
詩(Messeage)の、Mは、雅治のM
音(Sound)の、Sは、佐和子のS

でした。

以上