TVを捨てたけど貼ってたプリの画像














以上
TVを捨てたけど貼ってたプリの画像














以上
20年経っちゃったね。
やまさきさんちが何人になるのか?
パパは特に計画していたわけではない。
ただ、
うたまなの出産や子育ての様子からして
またママの業務や人的関係性の維持。
そして2003-4年当時は
まだパパが三信工業の後継者と言われてた時期。
「雅治さん3人目は控えてくれ」と社内会議で言われる。
※結論は2005年8月後継者断念に至る
なので子供5人の7人家族なんてのは
ないだろうなぁとは思っていた。
結果として、第3子で三女で、
かわいい末っ子と言う事になった。
紗代実さんがお腹に入ったと確認されたのは
梨狩りにママだけ行かなくて、
産婦人科に行ってたママから速報もらった。
—————————–
2004年8月26日 16:29:58
来春、5人家族になることが判明!
—————————–
ちょうど田浦海岸でうたまなと
帰り道のシッコ休憩していた時だった。
それから誕生の4月までの間、
パパの行動記録を遡ると
・Xマスツリー
・藤田に行ってカレーの練習
・園バス運転の練習・大型免許取得
・上春日の家の新築工事
・正巳・立子へ施設訪問
・作品展手伝い
・東京方面のIT仕事
・卒園式準備
などなど
ママはつわりひどくて、
「ミニッツメイド・ピンクグレープフルーツ」
をパパは走り回って買いまくった。
別府や臼杵のマルショクまで買いに行った。
うたまなは元気に飛びまわる毎日。
4月1日からはウエルカムビデオの撮影開始。
このビデオを始めた時期に、
ワインをママに送るのに入手したはず。
4月17日
何かしら準備をしているママ。
4月27日予定だったけど「そろそろかも」って。
そして4月18日になってすぐ午前2時
ママ「ソフィアに行きましょう」と4人で出発。
かなりの難産でした。
夜が明けて、うたまなはソフィアから幼稚園へ。
午前中も生まれず、うたまなはソフィアに帰宅?
お昼ご飯に近所の回転寿司に行く。
それでも生まれず。
頭からではなく顔から出てこようとしてて
吸盤で頭を引っ張られて動かすなど。
うたまな、
2005/4/18は月曜日だったので
ブラックジャック先生が1900からTVであって
それを見て過ごす。
パパは恒例により大きなカメラを持って
その瞬間に妻の手を握るではなく、
カメラのファインダーに走る。
3000g超えは大きなって感じでした。
背中を擦られてなんとか産声を上げる。
それを聞いてホッとするママ。
クリーニングを終えたベビーさんが来て
なんだかソフィアスタッフが
あれこれ自分の事始める。
病院撮影のビデオとか記念写真とか
お父さんここ入って、
もっとよって、などなど。
要らんっちゅーに。笑
しばらく分娩室に放置されたママ。
パパが部屋を出たら、うたまなあやが居た。
ざっと状況を説明して、うたまなは病室へ。
やがてママが戻ってきて5人になった家族がスタート。
3174g3人の中で一番大きく出てきた紗代実さん。
いまでも一番高身長やね。
さて、
誕生してからパパの最初の任務開始!
名前を考えねば…….。
恒例により顔を見たインスピレーションで考える。
ともかく逢いたくて逢えなくて、そういう印象。
ママも分娩室の初抱っこの時、
「やっとあえたねー」って言ってた。
そんな事も含めて。
舞台演出の1つに紗幕と言う真っ黒のカーテンがある。
照明の調整で黒にも透明にも見せられる。
シルエットだけにして見る人の想像力を膨らます演出も可能。
その紗幕から、紗。
世の流れや歴史・世代から、代。
※紗世実と言う案もあった。
ようやく会えた真実のお姫様から、実。
「紗代実:さよみ」としました。
2005年4月18日紗代実さんの歴史スタート。
そして3人の娘のパパ業務もスタートです。
紗代実さんが我が家にやってきたときは城崎。
車にベビーシートを置かねばならず、
つい先日まで真凪さんの場所だったのに
うたまなはチャイルドシートに移動。
BMW525は5人乗りだけどやりくりに頭を使う。
外にいって飯を食うテーブルも4人、
日本の生活って4人構成で出来てるんかな?
なんて思うこともありましたです。
紗代実さんのごはんはもちろんママのおっぱいだけど
時期をみてパパのブイヨンづくりも再開。
ママも離乳食パックづくりをやってた。
そんで紗代実さんの誕生の年は
カレーワゴンを始めようと思いついた年。
なのでカレー作りも城崎で始めていました。
幼稚園の砂場のUFOやすべり台も2005年かな。
それから2005年11月の事
パパは大型バスの免許を取りにいって、
いよいよ園バスのヘルプに入る準備を進める。
そして大イベント、
上春日の家の建築が始まっていた。
パパもママもあれこれと人と接する機会が多くて、
慌ただしく5人生活の時計が刻み続けていた印象。
トムとジェリーを見てたら集中してた詩音さん
ともかく寝てた真凪さん
紗代実さんはうたまなママそしてパパと
4人に囲まれていろいろな事を見聞きして
その中から気に入ったものを手にする。
そういう感じだったような気がする。
「今でもノラない事には手を出さないよね」
2006年春
恒例の雛人形どうする問題。
3人それぞれフルセットと言うコースは
真凪さんの時にナシとなって、
今回はどうなるんじゃろうと思っていたが
ママの決定は見ての通り。
パパはそれを見て、
出かける用の雛人形セットってあるんやな。
日本人も小洒落た事するやん。
と感心した。
そして2006年4月からかな?
正巳Gちゃんが介護施設ではなく入院と言うポジションになった。
立子ばあちゃんは施設に居た。
三信工業は雅治さん離脱後、
桑原氏の参加で紆余曲折の毎日に社員の悲鳴が出てくる。
正巳Gちゃんの最後を感じてか、
小豆島のアラおいちゃん・えつこおばちゃん・ひろくん
3人がちょいちょい顔を出すようになってきた。
その他、めったに接触しない親族が出てくる。
わずかながらでも金があったら
色々群がってくるんじゃなと思ったパパ。
そして2006年5月28日
正巳Gちゃんが永眠。
ある意味、大分の偉人であった人。
悪人でなかったのは事実だと感じている。
葬儀の最高責任者となったママはあちこち奔走する。
パパは、うたまなさよと専業主婦的。
ときおりお隣さんがウにゃウにゃいいながら割り込んでくるが
あなたら3人もめんどくさいのかそこそこで遮断。笑
この時点で、
カレーワゴンの車は上春日に来ていた。
2006年7月21日
上春日の家が完成して引き渡しをうけ、
いよいよ城崎からの引っ越しを始める。
荷物運びでカレーワゴン大活躍!
立子ばあちゃんも一緒に住む前提だったので
それも踏まえて準備を進める。
パパは時間があれば、
うたまなさよをつれて施設に行き立子ばあちゃんを訪問。
もう紗代実さんもひとりでじゃんじゃん歩ける。
正巳Gちゃんの相続の処理で、
弁護士や税理士などとの会議でパパママ奔走。
8月に入ってくらいで完全に城崎を閉鎖して上春日1本に。
正巳Gちゃんの葬儀のお手紙をだすのをみんなでやってて
※真凪さん切手を1枚づつ切り取る作業を
間違えて本体をヤブって怒られて。
疲れて頭おかしくなってメガネ壊れて発狂。
幼稚園は夏休みだけどママは登園。
うたまなも当園する。
紗代実さんはパパと上春日に残ってる事が多くて、
パパ部屋でゴロったりTVみたり、寝たり、食ったり。
それもあってか、
紗代実さんのトイレトレーニングはパパも参加した。
大きなウンチがでたら「大物がでたねぇ」って二人で喜んだ。
2006年8月のお盆、
立子ばあちゃんが3泊くらい滞在したのかな。
トキハに行って豪遊して、夜は花火をして。
こういう家族像になるんかな、ってパパは思っていた。
ただ、
現実問題、立子ばあちゃんのお世話は大変で、
トイレができるようになった紗代実さんと真逆の様相で
立子ばあちゃんはシッコもらすなど。
立子ばあちゃんも建て替わった上春日に
自宅を感じられず不安は拭えず、
結局、施設(陽光苑)が本拠地で、
「お出かけで上春日に外出」がいいね、ってなった。
そして2006年9月 カレーワゴンスタート。
ともかくパパはカレーワゴン中心の生活。
上春日の前で営業開始。
いつのときか上春日の日曜日カレーワゴン。
普段は大きなシャッターを締めているんだけど
お出かけから帰ってきたママのシルバーがあった。
出入りのためシャッターは空いていた。
あやこさんが紗代実ちゃん見てるからと連れて行く。
ところがお友達?からの電話で夢中になり
紗代実さんの手を話してしまった。
そのまま、紗代実さんは敷地内をよちよち歩き回る。
パパは何気にカレーワゴンからママの車を見ていたら
大きなSUV車が爆走で前を走り去った。
その1秒後、紗代実さんがママの車と
あやこさんの塀の間から道路に歩きでた。
そう、あと1秒時間が違っていたら
暴走車にはねられて紗代実さんはミンチになっていた。
ママは自分の車の置き方が悪かったと猛省。
あやこさんはママに怒られるけど、
何が悪いのか理解できないのはいつもの事。
ほんと許せん。
突然の衝撃は立子ばあちゃんの急逝。
2006/11/21の昼にコーヒーゼリーもって
みんなで施設にお誕生日をお祝いに行った。
その週末に上春日ですき焼きをしようねって別れて数時間後、
死亡したと連絡が入る。
うたまなは眠りについたところだった。
紗代実さんはパパとわちゃわちゃしてて
食器洗いがあったので
「ちょっとまっててね」とパパはキッチンへ。
突然の連絡で驚きながらも5人で施設に行った。
事実だった。
この瞬間から葬儀の準備などをするのに忙しくなる。
おとなりさんが
「紗代実ちゃんは私が見とくわ」
とか言ってたけど
「できんやろうが!」と
過去の無責任もあってママから怒られ
紗代実さんも含め5人行動開始。
葬儀はシンプルに進んだ。
その宴会の時おとなりさんがまたやらかす。
「紗代実ちゃんは私が見とくわ」
と会場内を連れ回してたけど、
ばばあたちの話に夢中になって紗代実さん放置。
どうしょうもなく、
おっさんたちのお相手をしてたパパのところへ。
そして錯乱状態のまま泣いて立ち尽くす。
あのときはほんとにごめんね。
パパも油断してた。
その後、
立子ばあちゃんに付いててくれた家政婦さんが
遺産全額もらう約束をしたと
裁判してきたりで大騒ぎなる。
2009年からベタのまんじろうが上春日へ。
いろいろあってすぐに死んだりして
でも3代目は3年半の長寿だった。
3歳直前のパパと東京二人旅も行った。
まだホーバークラフトあった時代。
てんとう虫のリュックがお気に入り。
そう言えば、
2008年4月の沖縄旅行。
帰りに紗代実さんおなか痛くなって大騒ぎ。
飛行機の席を大きめに変えたら一人7000円追加。
福岡の到着してぶっ飛びで健生病院に入院。
パパが入院に付き添った。
小腸の動きが止まり死ぬ直前だった。
翌日うんちがでて酒井先生から帰ってOKもらう。
つまり小腸復活!
上春日時代は、
詩音さんは小2年生
真凪さんもすぐに小学生に。
なので水曜日のお迎えは
パパと紗代実さんの二人旅の日々。
トラックで三信に迎えに行って、
その後、ごはん屋さんにいろいろ行った。
もしくは中島マルショクとか。
2011年くらいかな、
紗代実さんのバスお迎えで
二人でたくさん乗ったトラックとお別れ。
紗代実さんボロ泣き。
そろそろこの時期、矯正が始まった頃かな。
食べにくかったり、痛かったりしたろうし、
通うのも大変だったけど頑張りましたな、みんな。
イオンでみんな好き勝手に別れるけど
パパさよチームは別行動でアイカツ。
2012年くらいからパパは宗さんとの付き合いが始まり、
徐々にあちこちに出かけることも多くなり、
府内城のイベントなどで紗代実さんに協力してもらうなど。
そういえばこの時iPhone4割りやがったな!!!
また2012年GWからカレーワゴンはサファリに出店。
最後は2015年だったけど、
この頃は紗代実さんと二人で行って、
紗代実さんはプールバカンスを楽しんでおられた。
紗代実さん、カレーワゴンカレー好きやったなぁ。
まなぎさん食べきらん普通の中辛のヤツ。
幼稚園くらいだったんかなバレエを始めた紗代実さん。
別府の教室、頑張って通いましたなぁ。
自分でJRで通ってたのすごいなぁって思ってた。
・ホルトホールでみかんを運ぶダンス
・別府公民館もあったっけ?
後藤智江先生とのコラボ?
・最後はビーコンかな?
このビーコンは2017年3月26日
パパは府内城の祭りからビーコンへ。
でもお腹いたくて座席で1回死んだ。
奇跡的に目覚めたらちょうど紗代実さんの出番だった。
その夕方アルメイダで診察して胆石と診断。
手術が必要と。
そして翌日、藤野くん永眠。
この時期から、
パパは上春日に帰らなくなりました。
でも、機会があれば二人でプリした。
上白木は店だけの予定だったけど、
鍋を見てるとなるとずっといることになるし、
おとなりさんと距離を置きたかったし。
さらに由布院の仕事も始まって
上白木に住んだ方が都合が良いという結果。
由布院も行ったねぇ。
でもあまりパッとした内容ではなく、傘買った?
2017年11月?
スペースワールドに行った。
前の客みて水浴びをわかってたけど
アトラクショションでずぶ濡れになる二人。
バスがぐるぐるするの待つのが面倒になってやめた。
パパの要望でIMAX見たけど、
紗代実さんは興味なかったかな。
話飛んで、
久留米の福岡青少年科学館の
ボールプール行けなくてごめんね。
2018年4月25日に珈琲遊民開いて、
さあやるぜ!と言うときに
5月11日パパは骨折。
なにも無ければ、
北九州→出雲大社→コナン空港→太陽の塔→
淡路島→瀬戸大橋と一泊二日で行くはずだった。
入院中は、Mcハンバーガセットありがとう。
チャリでアルメイダまで来てくれた。
幼稚園でマラソン大会4連覇して、
その勢いで小学校でもシャトルランで有名に。
でも次第に男子との体力差が見えてくる。
中学校では陸上がんばりました。
パパも大会の観覧がんばりました。
陸上競技場はインフルとかで入場制限あって
なんかめんどくさいゲートを通って
実は親は入ってはいけない場所で
紗代実さんの写真を取るなど。
大雨の時は上春日の駐車場で傘に落ちる雨を楽しんだ。
トキハにシャネルリップ買いに行った。
意外と濃いシックなの選ぶんじゃなと関心。
その流れで地下でうなぎを買ったけど、
なんかいまいちだった印象。
これまでで一番印象に残った瞬間。
中学3年の団長の姿かな。
かっちょかった。
紗代実さん自身も楽しそうだったし。
ファインダー越しに目で追い続けた。
「カメラマンが被写体に夢中になった瞬間」
を体験した。
東北の大規模な震災を見て、
バイクで逃げる方法を持っておかねばと
緑色のバイクがやってきた。
結局、緊急出動はなかったけど
紗代実さんと別府に焼き肉行ったので
このバイクの存在意義はOKだ。
腐った牛乳飲んで中学校の靴箱でゲロった事件
フィーチャリング校長先生 あったなぁ
高校の受験は
なんかノレてない感じがした。
入り込んだらなんでもやってしまうのに
マジ感薄いなぁって思ってた。
「今でもノラない事には手を出さないよね」
結果、東明生活はどうだったんかね。
送迎も何回かしたなぁ。
あそこのローソン、
駐車場代金代わりにオレンジジュース買うの
楽しみだったが当時100円だった。
今170円かぁ。
高校生になってからかね?
気分のノリが上下しだしたのは。
ハートに送迎くらいしかできず
外傷ではないから見た目にはわからんし
パパもどうしてよいのやら考え続けた。
とて、原因が明確な症例でもないので
どうしようもないけどな。
パパの遺伝子の影響ならスマン。
で、昨年から京都単身生活。
どうなんじゃろうか?
思い描いた通りの毎日だろうか。
予定通り?!JDらしいJDじゃなさそうで
クラスメートとワイキャイも少ないのだろう。
仲良し5人で沖縄旅行とかせんのやろうな。笑
三姉妹そのあたりは共通の現象じゃな。
車の免許も取ったし、
たぶん学校の単位なんかも順調なんだろう。
警察官をめざすとの事。
うまくいくかな?
紗代実さんが一番居心地悪い世界のはず。
正しい事が正しくなく、
上下関係は能力に比例せず、
個人と言うアイデンティティーは必要ない。
どこまで行けるか楽しみにしています。
もし、
お得意の「場を制圧する」手法で行くなら
公務員1種とって官僚として入るんだろうか。
====
さてさて、
お誕生日おめでとう。
幼少期、一緒に居ることが多かったけど
思春期に距離ができて、
もっと理解するチャンスがあったのかな?
なんてちょっと反省しています。
紗代実さんの父でよかった。
パパは少し乙女入っているけど、でもおっさん。
おっさんの生活では接することのない
女子のおしゃれやアイテムなどは
紗代実さんを通じてたくさん学びました。
娘と言う関係より、
女子友達の感覚もちょっと抱いてました。
それも学年ひとつ上の先輩的な。
二十歳になったけど、
もうしばらくは娘的な接点も体験させて下さい。
そして、
今後なんらか社会の一員になったとき
大人同士の立場で日本の未来を語り合いましょう。
パパがうたまなさよ、
共通にお願いしているのは
「喜怒哀楽を大切に」です。
プラスばかりじゃつまらないし
マイナスあってのプラスの良さがあると思う。
喜・怒・哀・楽、それぞれバランスを見ながら
紗代実ブレンドを作っていって下さい。
・パパ業引退する雅治さんより
END
いつの間にか、20年も前の話なんやなぁ。
真凪さん誕生の2年前に長女の出産であれこれ経験した。
なので、ママもパパも少しは心構えが出来ていた。
でも、妊娠中は長女の時と同じくママは廃人同然だった。
8月出産と言う事は6ヶ月ほど遡り、つわり時期は冬シーズン。
城崎のこたつの中でシッコ以外、そこに居付けたママ。
前と違ったのは長女が居た事。
長女はママの体調不良を理解できないので、
寝ているママにカマチョでのしかかる。
ママに心身の余裕があれば対応するが無理な時は物理的に無理。
長女を遠ざけてしまう。
ママはそんな自分がイヤで追い詰められていく。
その場にパパが居れば対応も出来るけどパパ環境に変化あって、
長女の生活リズムが安定したと見えて仕事に復帰していた。
斎藤のおいしゃんらと新規ビジネスの立ち上げとか、
三信の話で頻繁にG様から呼ばれて出ていく。
長女つわり期はパパは仕事をしてなかったのでずっと居たけど、
今回は居ない事が多かった。
極めつけは、2001年1月の後藤智江先生の公演。
ママ的につわりピークの日の事、
舞台仕込みで能楽堂に出かけたパパ。
出かける時「今日は居て」と言ったママ。
「急に断れんしちょっと行ってくる」と午前中出た。
心配になって昼に戻ると「もう大丈夫」とママは言う。
なので、再び城崎を離れ仕込み終了まで予定通り作業をした。
後日、ゲネプロの時は朝から夜までママ一人になってしまうため、
能楽堂に宮河内を出動させ長女も現場に入った。
でも、この一連が許せなかったらしい。
二人で生きて行く事の信頼関係がコレで壊れたんだと。
ママは、この日からパパの事を信用してないって。
そんな事もある中、
つわりで何食っても吐く真っ只中でも口に出来るとママが言った品、
「ミニッツメイト:ピンググレープフルーツ」を買い占めに、
県内のスーパー・コンビニを奔走した。
大分・別府・日出・臼杵・庄内くらいは網羅したかな。
やがて春が来て、少しづつ落ち着き。
途中、立子さんが上春日で転倒し骨折するなど。
(4月28日と記録がある)
パパは城崎503でITスクール「馬場塾」を斎藤のおいしゃんと
2001年6月に開校。
そして8月1日、
生まれるまで毎日ビデオの収録開始。
8月16日早朝、ママ・パパ・ウタの3人でソフィアに移動。
二度目の体験なので多少は準備に余裕があったのかもしれない。
ママの荷物はいつもどおり過剰な中にも、
経験値から少しはコンパクトになっていた感じはした。
ソフィアの部屋は長女の時と違って随分広く、
ベッドと別の和室?があった。
やがてママの陣痛間隔が短くなり分娩室へ移動する。
長女は部屋に残っているとの事だったが、
義母が乱入して強引に略奪していった。
パパは分娩室付添があるし選択肢を検討している間に、
さっさと長女を持って行ってしまった。
義母に長女が何をされたのかわからん、今でも悔やまれる。
分娩室ではおなじみ秒160前後の心拍が鳴る。
助産師さんはママのお気に入りの江上さんじゃなかった。
でもベテランさん。
分娩室に業務用カメラを持ち込み、
立会人席でずっと瞬間を待つ、パパ。
新生児、なかなか出てこない。
長女の時はスルっと出てきた感が強くて、
お産をナメてかかっていたのかもしれないママとパパ。
前回と違い新生児のサイズが大きく違う。
産道通過にやや困難を示していた。
会陰切開は当然だとしても、
子宮口を切開するわけではないから筋肉が延びて行くんだろうなぁ。
胎生生物はすごいね。
さて、知っての通りのママだ。
生来、体力勝負の挑戦など一切しない。
でも前回の長女出産、そして次女出産。
命がけで偉業を成し遂げた。
ママの額に血管のマーク(兆)?が出るくらいの力量・緊張感。
でも2度目だからかな、余裕があった様に感じる。
何時間もかけて降りてきた新生児。
頭が出たと執刀医。
パパは薄情にも恒例によりママの手を振りほどきカメラへ。
取り上げた当初、産声を上げず緊張が走る分娩室。
助産師さんがしきりに背骨をマッサージする。
パパはカメラを離れて新生児を覗き込む。
「・・・・ぐ」
「・・ぷ・・・ぐ・・え」
「び・げ・うげ・ふげ・ふぇ・ふぇ」
と声にならない声を上げる。
やがて
「ふえーん、・・・・」と産声らしき音が。
その後も、泣き続けるではなく、
かなりのインターバルをもって時折声を上げた。
その様子が名付けに影響している。
新生児はクリーニングを施され、
ソフィアのやらせ記念撮影をして
ママの胸でしばらく抱っこ。
パパは気になってしかたない長女の行方。
分娩室から出ると長女はそこに義母と一緒に居た。
パパは長女を無事取り返した。
退院まで数日間の入院生活は2度目でも授乳や沐浴の訓練が続く。
当然ソフィアはサービス業なのでキツイ時はやってくれる。
しかし経産婦の間でバトルが繰り広げられる、例を上げれば授乳。
まず母乳が出るかどうかで大きく分かれる。
次に新生児がそれを受け入れてくれるかで分かれる。
恐怖はその次、訓練の場だった。
入院中の経産婦さんが授乳室で同じ時間になる事がある。
互いに相手の様子を観察し優劣を感じるのだ。
1g単位で飲量を測るのだが、あの子は基準値に達している。
うちの子は上手に飲めずこぼしてしまう。
母乳の出が悪い、乳首の形が悪いとさえ悩む。
経産婦さんの年齢も上下様々。
うまく行ってる若い子を嫉妬する高齢出産とか、
自分のヤンチャな生活が原因で母乳が出ないとか、
壮絶な心理戦があると思われる。
世のパパたちは何も手助けできる事はない。
聞いたとしても「そっか」としか言えない。
その地獄の数日間を一人で耐えてみな母となるんだろう。
ちなみにママは母乳の出は良かったみたい。
8/16出産当日の夜、
パパは目にした事実を整理し名前を草案する。
・長女より出てくるまで時間がかかった
・なかなか初声を聞かせてくれなかった
・大騒ぎを煽動する雰囲気ではない
・独自のリズム感がある
と感じていた。
人工物や風や音のない世界、静かな世界。
そこに独自のリズム感を持った人。
静かでリズムと言えば波打ち際かな。
でもさざなみとかじゃない。
頭に浮かんだのが「凪」と言う現象。
そうだな、この子は凪だ。
真に凪。
凪と言う文字を使いたかった。
でも、昭和の名付け常識の中に、
名前に「止」が入ると子作りが止まるとされている。
そんなツッコミも出てくるだろうと思った。
でも、真に凪。
余談なのだが、
実はこの話は誰にもしたことはないんだけど、
パパの脳に凪の文字がある理由。
さだまさし 夕凪
昔、聞いたことがある曲で印象に残っていた。
ハッピーな歌ではないけど夕凪の情景が浮かんで、
なんだか頭に残っていた。
なので、静かな場は「凪」だと浮かんできたって話。
凪はナギ以外に読み方がなく、ナギと音声表現する。
ギと言う濁音が女子の名前にどうか?とツッコミもある。
有凪・凪美・凪音・・・・
長女の時に作ったお名前組み合わせExcelであれこれ考える。
やっぱり結局、冒頭に出た「真凪(マナギ)」に。
ママに伝えたところ、
昭和の止め文字ツッコミもあったが最終的には原案で決定。
長女の時に名前を山崎家に付けさせなかったと、
ひとり大騒ぎをした義母さんは今回諦めたのか何も言わず。
※義母さん長女に「かなこ」が良いとポツリ言ってた。
そして8月17日早朝から、あなたは真凪と呼ばれる事に。
長女がマナギと言えず、マガイと言ってた事や、
小さな子どもはマガイと称されると長女の誤解は有名な話。
約20年後、
真凪の各国語訳を調べる話はまた後で。
よく寝る子だ。
城崎の生活が始まってからもネンネばかりの次女。
夜泣きをした記憶もあまりないかなぁ。
寝てる横で長女が騒いでも寝てた。
お食い初めは長女と同じく、
極上の鯛を中島マルショク渡辺鮮魚で手配した。
食べたのはパパだけど。
よく食べるだ。
栄養循環がよかったのかどんどん太っていった。
ご飯が始まった頃からお話も出来るようになってきた。
身体が重たかったのか立ち上がりは時間あったかなぁ。
ハイハイの記憶もないなぁ。
長女のような転がり移動もなかったなぁ。
粉ミルクステップ&バナナを基本に
ずっと食べられるようにいつもパンを握っていた。
やがてパパのご飯も少しづつ口にするようになる。
雛人形をどうするかママは悩んだ。
またフルセットを購入すべきか?
あるいはコンパクトセットなのか?
将来、その差に傷つくことはないか?
一人っ子のママは想像出来ないとパパに言う。
パパは男子兄弟なのでコメント出来ず。
結果、ご存知のようなセットとなった。
2002年ワールドカップ
試合は6月10日なので次女はゼロ歳。
だけどチケットが要るので一人$150払う。約18000円
生活の基本は、ママ・ウタ・マナは幼稚園。
時々、パパと二人で城崎に残り近所を散歩したこともある。
公証人役場の前道路に当時クッキングパパと言う弁当屋があって、
弁当買って城址公園で遊んだりした。
長女のマネが好きだったのか?
長女の言動をそのまま真似するのが多かった。
幼稚園であった事を長女が身振り手振りにパパに話をする。
それを真似るように、同じことを言う。
そんなマネッコが面白かった。
歩けるようになって行楽も行った。
大分川の花火・志高湖・香りの森など。
大雪の時、水分峠に雪遊びに行った。
あまりに寒くて意識が薄れた真凪の死亡説もある。
坂ノ市の亀塚古墳に行ったら、怖かったらしい。
何かを感じたんだろうか?
2004年の夏、初めて梨狩りに行った。
次女は、園主の松本さんに、
「おじちゃん何型?」
「お?、オレはA型や、キミは?」
「クワガター」
「なんやそれ!、血液型やねんかい!」
と小ネタを炸裂するなど。
その帰り、三女の懐妊が判明する。
同じ年の9月だったか、関崎海星館に昼間行った。
かき氷を買ったけど、半分こぼしてしまった。
どこぞのババアが可愛そうだと分けてくれるけど、
そんな不衛生な事はムリなので断って、
「親切を断るのか!」と言うババアと口論になるパパ。
そんなこんな。
2005年4月、やまばと3歳組に入園。
名札をもらい、パパに報告に来る。
「パパ、受かった」って。
まなぎ・ゆうと・あおい・さあや
先生の言うことを聞いてない4人組はこの時結成か。
2005年4月18日、三女誕生。
ソフィアに前日泊で分娩に挑むママ。
一家で宿泊し、ソフィアから登園した。
次女はこれが気に入り「ソフィアに住む」と言う。
お昼、近所の回転寿司に行ったが、まだ生まれず。
結局、夜までかかった難産?だった。
ママの入院見舞いで、ソフィアに通い、
毘沙門天など近所の飲食店を散策した。
亀川の寿司に電車に乗って行ったなぁ。
2006年春に正巳G様が入院した。
G様と入学式の服を選ぶなどして危機感の無い日々だったが、
毎度の行楽入院とは様子が違い回復せず5月末に逝去。
葬式には長女と次女、そろってピンクの服で参加。
非常識だと異論したババアらが続出したが、
「故人との思い出の服」だとママが一喝。
7月21日から上春日生活開始。
上春日の引っ越しに合わせG様の法要などで慌ただしく。
パパとお隣さんの口論で怒号響く上春日の新生活。笑
G様の法要の手紙に貼る切手を整理していた次女、
あまりに疲れすぎて切手を真ん中から裂き始める。
怒られて大泣きして部屋にこもったら眼鏡がどうとかで絶叫。
何かと思えば、
G様入院時に県病の裏のダイソーで買ったヒゲメガネが壊れたと号泣。
トライアルのゲーム
まだ幼稚園児だったと思う。
わさだのトライアルで買い物に立ち寄った。
レジ横にコインを入れたらクレーンが動き、
積み上げた商品が落ちたらゲットと言うゲームがあった。
どうしてもやりたいと懇願する。
パッと見て1回の操作で落ちてくる位置になってないので、
パパはダメだと言うが、どうしてもと引き下がらない。
じゃ1回で、と100円で挑む。
操作を開始して5秒くらいで結果は出る。
「ほな、帰るで」と行ってしまうパパ。
パパが正しかった事に加え、
「だからムリだと言ったの」にと怒られるの待っていた次女、
何も言われず、それはそれでやり場のない表情をした次女だった。
西の台小学校に進学。
双子姉妹のあいか・ゆうかの話くらいしかパパは覚えてない。
ある女性教員の奇行「携帯電話番号搾取事件」で結構揉めたけど
別件の「給食費保証人事件」でパパは危険人物認定だったので、
こちらに有利に話は進めた。
しかし異常行動をとっても公立教員はクビにはならんのやな。
他、
「携帯電話紛失事件」や
「北九州博物館携帯電話忘れ事件」など。
携帯電話にまつわる事件が多いと言う印象。
カレーワゴンの出店や下見に付いてきた事も多かった。
誕生日かクリスマスか「夢猫」を欲しがった。
TVCMか広告で見たのだろう、
リアルな猫飼育体験が出来ると思っていたようだ。
だがぬいぐるみにわずかな稼働メカと音声がでる程度。
なんとか自分を納得させようとベッドで一緒に過ごしたり、
なでたりしていたが違和感は大きかった様だ。
何事にも本質に迫る気質はこのころから有ったのだろう。
「いや、これ、本物ちゃうやん」って早々に気がつく。
大分西中学校に進学した。
長女の様に進学校の受験をするのか?と思ったが、
そうでもなくさらりと西中学校へ進んだ。
学校行事にはあまり関わらなかった
長女は剣道部でワチャワチャとしていたので、
部活現場にカレーワゴン出動とかあれこれしていたが、
女テニがまずもってユルい空気だったので関与せず。
1度、竹田での試合に送迎をした。
おかげで竹田周辺を観光できた。
Masaharun_kamishirakiのインスタ投稿第1回目は、
その竹田に行った事を掲載したのが初インスタである。
上春日での生活は日々淡々と流れていった。
高校進学に向けてエンジンを掛けつつあった中学後期、
パパ部屋に来て、
「20分後に起こして」と言って昏睡状態に。
予定通り起こすと怒る。
プルートでイジると怒る。
そんな事が続いていた。
ある意味平和な時間だったと思う。
高校進学は意図したのか、してなかったのか、
ある意味、挫折を経験した事になるんだろう。
残念とか具体的には表に出さなかったけど、
見てた様子から「違和感」があったんじゃないかと思う。
上野の合否に際し超法規的な手段も考えたが、
きっと次女から永遠に許してもらえない愚行だと思い断念した。
高校生活はどうだったんだろうね?
数として多くはなさそうだけど有益な友人に出会えた様に思う。
中央町商店街を散策していたパパと下校の次女がばったり、
でも互いにチラ見して通り過ぎる、まるで映画のワンシーンもあった。
高2夏くらいだったろうか、謎の体調不良に襲われた次女。
いろいろと手を尽くしてみたが原因特定に至らず。
たぶん交通事故でコケた時に脊椎を損傷し、
脳髄液減少症だったのでは?と今になって思っている。
パパはパパで骨折事件により周囲に笑いを取る。
次女にチャリでマックセットの宅配をやってもらうや、
院内コンビニの買い物に車椅子押してもらうなど。
大学受験も迫り、進路を決めなければならない時期。
一般論として18歳の小娘には難しい事だろうけど、
次女と「目的と手段」を大いに議論した。
次女、そして3姉妹が思い描く未来予想図を前に、
各々、そして次女が何を作り上げていくのか?
目的を達成するのに道は1つではない事や、
役割分担の中で他に譲れない事の重要性なども議論した。
知識・金・力量・人脈・時間・世情など現実についても議論した。
2020年頭、世の中はコロナ騒ぎに突入する。
地球上のすべての人が思い描いていた計画を白紙にさせられた。
そう言う時こそ威力を発揮する次女&パパ。
こんな面白いチャンスを逃すわけがない。
健常者がワチャワチャしている時にASDが覇権を掴むのだ。笑
そこで運転免許証取得事件につながっていく。
反対意見も多かったし軽視する向きもあったが最後の最後、
パパも直接受験だったので反対出来ず……..。
詳細は電子図書『異星人の娘と父「安価で」運転免許を取る』を参照されたい。
その経緯の中に、
原チャで「9と3/4番線」に突っ込む事件が発生する。
結果、合格を勝ち取る。
パパは改めて、
「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。
そして、BMW320を譲り受けてパートナーにする。
自動車維持の困難さに直面しバランス感を再考する事もあったようだ。
時を同じ時期、MacBookを購入した。
ママ(兼三協社長)の考えを受け止めながら、
予算と現物の調整に奔走するパパ。
メリット・デメリットを提示しママの考えへ誘導を試みたが、
動じること無く16インチを主張する次女。
最終的には「ファッション」と言われ、パパ受諾。
パパは改めて、
「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。
元々、主張を曲げる事はしなかった。
高3の時、受験に際し「目的と手段」を議論した事がきっかけなのか、
次女はその後も独自の解釈を「よりいっそう」深めていった。
自動車学校行かない宣言の次は何かと思えば、
「自分の会社を起業する」と言う。
しかし、次女の親が佐和子さん雅治さんで良かったよ。
※この親だからこの子と言う論もあるけど
ごく普通の御家庭だったら理解出来ず鬱になってしまうだろう。
馬場さんちが雅治さんの起業に際し理解できず、
起業は大企業が子会社を作るパターンしかない、
個人が起業するのはヤクザの世界だけだと思っていた馬場家。
そんな中でパパは21歳でdoクラフトを起業した手前、
次女の起業宣言に反対もできず。
着々と準備は進めていったが、まさかの頓挫。
なんと社名が決まらず、それで一ヶ月近く時間を費やす。
「目的と手段」を元ネタして導き出そうとしたが難しく、
原点に戻り「真凪」からの派生を考えた。
数々の外国語に照らし合わせてみた。
海岸線で波もない自然現象に凪と名前を付けてるのは日本語だけだと知った。
起業は法的に整備された事象なのでフォーマットさえ整えば出来る話。
ただ未成年者にはハードルが高い。
未成年で起業することへの価値観は本人しかわからないだろう。
紙と印鑑と言う令和最後のアナロググッズを抱えて奔走した次女。
無事、希望日に設立が叶った。
パパは改めて、
「次女はヤルと言ったらヤル」んだな、と思うことにした。
====
改めて、お誕生日おめでとう。
そして、素敵なパパ役を与えてくれて、ありがとう。
今はあまり感じてないかもしれないけど、
次女にとって今の日本は生きづらいと思います。
特に田舎の大分では何もかもユルくて議論のテーブルにさえ着けない。
逆に議論をしたがるヤツは本論を極めて無い聞きかじりや、
薄っぺらい主義を押し付けてくるヤツしか居ない。
それでも市議になれる。笑
じゃあ都会に行けば同等の人が居るかと言えば定かではない。
確かに世の中には出来る人や天才は一定数居る。
この先、尊敬出来る人に出会えたら良いねぇ。
パパはまだ出会えていません。
世の中、知識量を基準に人の優劣を述べる風潮がある。
そうすると子供と大人では絶対的に差が出てしまう。
子供の発想力とか好奇心とかのパワーって、
大人と優劣競うほどもなく膨大なのに小さいってだけでナメられる。
あと女である事もかな…。
もちろん自然界でも知識量(経験値)が生死を分ける。
でも人間社会って生死に関係ない知識量で優劣を競う事が多い。
くだらんけど読書量自慢とか多いわなぁ。
自分で創造出来ないので他人の世界観を鵜呑みにして自分を誇張する。
多くの著名書を読破したので自分は偉いと言う勘違いって。
こういう人って災害時に太宰治とかマルクスの教えで生き延びるかね?笑
・既成概念
・既得権益
・先駆有利
・前例主義
・共同幻想
などなど次女がアレアレ?って思う事いっぱいの世の中です。
一方で、
そんな人たちがルールを作って運営しているのが現代社会。
法律(絶対)と慣習(あいまい)が共存しています。
それもとてつもなくアンバランスに共存しています。
ただ、その世界でも絶対的に注目される事が2つあって、
お金と時間については十分過ぎるほどの精査し計画を立てて下さい。
特にヴィントシュティレの案件だとこの2つのミスは許されません。
山崎真凪では許されてきた事も法人では許されないし、
個人取引は消費者保護法で守られているけど、
法人取引に保護法はありません。
偽物を掴まされたら「検品せず買った方が悪い」が結論。
次女の得意技で相手に懐柔するテクニックがある、
それはそれで良いと思う。
しかしヴィントシュティレはそうは行かない。
意図的にミスを誘導してそれを餌にするビジネスもある。
悪意は無いとしても、
売上を1円でも多く取るのも戦い。
仕入を1円でも安くさせるのも戦い。
勝つためには相手を上回る知識を得なさい。
勝つためには相手を上回る力(人・金・権利・・・)を得なさい。
表は常に真凪スマイルで。笑
裏では圧倒的な武力(笑)を整備しておく。
そして場面に応じ、喜怒哀楽をバランス良く。
最後に、
もう成人したので真凪さんは独立した個人です。
パパは何も手出し出来ませんし、しません。
パパはこれからどんどん下降線に沿って0%に向けて歩いて生きます。
徐々に役に立たなくなってくる。
でも、
変な分野を含め物知りのおじちゃんとして仲良くして頂ければ幸いです。
そして、
面白い体験をしたらぜひ教えて下さい。
・雅治
きっと1年前の私は、我が家(東京の家)を1年も離れるとは思っていませんでした。
前提として、私は2年間生活してきて東京は生活する場所じゃねーなと思いました。
だけど私の家だけは違って愛情があります。
そんな環境をいかに楽しく生きるか。いかに安堵の地にするか。
そうやって作ってきた私の家だけは東京の中でも楽しく落ち着く極楽なのです。
さて、その東京に戻ってきて思ったことは、「そりゃ感染するわな」です。
空港の時点で、社会的距離は保たれず(意味があるのかは別)
商店街に買い物に出てもマスクをしてない人はざら。
きっと、いつかかっても人口のせいにするから何もしないのだろうなと
私は2日間いて思いました。大分で騒いでたのが馬鹿みたい。
マスクの機能性がどうかは私は詳しく知らないのでなんとも言えません。
だけど人口が多いということはそれ程、知らない誰かと接する機会が多いということ。
それなのにマスクをつけない。という選択をすることはこの東京という地では、
間違いなのではないかなと思いました。
マスクがあることで安心する人がいる。マスクがあることで我慢してきた外出が許されると感じる人がいる。
それなのにマスクをしない。それは人間生活を生きていけないことだと私は感じます。
マスクをつければ済むこと。つけたくないのであれば出かけなければいい。
それだけのことじゃないのでしょうか。多くの安心する人の存在を無視して、
マスクをつけない理由はなんでしょうか。
日本人の同調気質がそう思わせるのかもしれませんが、
マスクをしないという選択をするのがかっこいいと思っているのかと
その人に対して思うほどです。
東京3年目を生きていく私として、思うことは
「さまざまな人がいる。ということに甘えていませんか?」です。
たくさんの考えや、ジェンダー、宗教を持った人がいる。
しかし、郷に入っては郷に従うという言葉を知らないのかなと最近思います。
あなたが今いる郷が気に入らないのであれば、気に入る郷に行けばいい。
なぜ、あなたがこの郷にい続けるのか聞いてみたい。と思います。
世界は広がったと、世界がネットで繋がったことや、
昔よりも海外旅行がしやすくなった世界でそういうのか。
そんなことをしみじみと感じたこの2日間でした。
たびたび更新しようと思います。
感想が欲しいと思ってしまうところですけど・・・
何年か前から、自分の身の回りの整理を始めていました。
要らないものを捨てたり、今の生活では過分な物をひとつひとつ検討していました。
上白木の生活では、あまり車で出かける事も少ないし遠くに行くこともなくなりました。
なのでお金のかかるBMWの維持を整理せねばと思っていました。
都合よく、パパの320は次女が引き継いでくれました。
なので、思い切って軽自動車に替えることにしました。

みんなには不人気ですけど、パパは気に入っています。
BMWの運転した感じと大きく変わりなく、すっと走り出します。
もちろん、自動車道で時速100キロから更にスピードアップは難しいですけど。
お街で生活するには十分です。
※ネタバレ注意
タイトルから受けた印象は
「駆け出し料理人が初めて任された晩餐」
に挑む作品だと思った。
のち公式サイトなどを通じて通夜ぶるまいの献立について物語が綴られると知った。
初見の観覧を終え一言で表すなら
「欲張りな作品」だと思う。
冒頭、病院の食堂でラーメンをすする姉弟らしき二人から始まる。
簡易食堂で見られる程度のラーメンで、その出来について口論する。
このラーメンも意味を持っていた。
5人家族がともに暮らし喜怒哀楽を重ねていく作品である。
この5人は二つの家族の足し算で生まれた家族である。
父・娘・息子と母・息子がある日突然、今日から家族だと言われ、日々ぶつけながら成長する作品である。
父は闘病の後、他界する。
残された4人は父の死を通じて互いの存在を改めて知り、自らの過ちにも気がつかされる作品である。
母は連れ子と共に家族に溶け込もうと手を尽くし、しかし難しい年頃の小学女子に困惑する日々を送る作品である。
父は登山家で時折家族で山に行き、やがて連れ子を頻繁に山へと誘う、その様子を見た息子は男の話に入っていく様子を描く男子の成長の作品である。
娘は多感な時期に継母を迎え、距離のつかみづらい連れ子との関係に幾度無く爆発をするが、母の気遣いに助けられ心を開くなど女の子の難しさを描く作品である。
元々2つの家族であり、母にもこれまでの人生があったが、それを封印し続ける苦悩の作品である。
子供もやがて大人になり自分の家族を持つ時期になると家族とは?と言う疑問を抱き始める、しかしその答えは見つかるものではない事に不安を抱く作品である。
弟はプロカメラマンとして活動するも好転せず、やり場のない苛立ちを通夜葬儀で集まった者や彼女にぶつけながら自分の未熟さを認めたくない葛藤の作品である。
父が闘病をしている間、登山家になった連れ子は時折帰省し山の様子を伏せている父に聞かせ、終末期には希望の食事を用意するなど看取りの作品である。
地方都市には必ずボーリング場があった事を思い出させてくれる作品である。
切りが無いのでこれくらいにしておくが、この作品は前述の通り様々な要素を持った作品であると思う。
よって、
「欲張りな作品」だとした。
物語のリアルな時間としては3日間くらいの事である。
父の死亡から通夜・葬儀までの時間の中で、かつてこの場所で暮らしていた者がそれぞれの秘密と今を持ち寄る。
設定としては九州の地方都市と言うことなのだろう。
私自身が九州人なので、通夜葬儀の田舎特有の空気感は理解できる。
通夜ぶるまいと言う宴会を楽しみにしている参列者もいるわけで、そのお接待が儀式の成否評価に大きく関わる事から美也子が仕出し店のキャンセルに激怒するのも判る。
おゴチソウを出さねば恥をかく場面において、
「目玉焼き」を出してきた母アキコ。
そして葬儀が終わるまで、東家にとって特別な一品の提供が続いていく。
当然、それはすべて5人の中にも生きている品々だ。
目玉焼き・ピザ・餃子・ラーメン・すき焼きなど。
余談だが、
この作品では自製食で押し通したが、実際の九州の田舎では難しいだろうし、すぐさま親族の世話焼きが別手配をしてしまう事だろう。
その3日間の中で、いくつかの要素が見え隠れ、そして明かされていく。
観覧後に思ったが、
この作品は表現されるシーンについて観覧者がその経験を持っているか否かで受け取る共感が大きく違って来るだろう。
例えば、
父がすき焼きを食べるシーンで、ほとんど口に入れられてないのに「うまい」と言い口を動かす。
看取り経験がなければ、
「単に意識が薄れててボケているから食えてないのにうまいと言った」
と受け取られるのだが、私は祖父の看取りをした事があり共感出来る。
父にしてみれば希望したものを準備してもらえて香りがしただけでも満足だったかもしれない。
私には経験がないが、冬山登山で絶望感を感じた時に書き残す行動の有無や、
他に重要な事があるだろうに目玉焼きの事を書き残す是非は遭難経験者であればリアリティもあるのだろう。
美也子の夫が美也子と同級生の様子に懸念を持つのも、
経験があれば見方も変わってくると思う。
奇しくも、私も東家同様の経験がある。
10歳の時に生母が先立ち、13歳で継母を迎えた。
連れ子は居なかったが、兄と二人で身構えた。
味噌汁のシーンの様に、違う家庭の味に困惑したし、
ここで甘えてしまい、再び居なくなる不安も抱いていた。
この作品の全体的な構成なのか、
「その一言を言うか言わぬか」のバランスが作品に謎(闇)と深みを感じる。
美也子がシュンに言われた、
「イヤなら食べなきゃいいじゃん」に言い返さなかった。
「じゃん」に苛立ち自室で一人怒っていた。
しかし一方で、
「お母さんの味噌汁がいい」と言ってしまう。
私も継母を迎えて13歳なりに、言うか言わぬかを気にかけてきたような気がする。
「お母さんはそんな事はしない」
「お母さんならこうする」
と言う事はいくつもあったが、私は口にしない事が多かったように記憶している。
美也子が魚の骨がキライと言えばアキコが対処したように「言わねば判らぬ」事もあるが、
言ってしまえば、この場を全否定することになり破壊し尽くしてしまう事だってあるだろう。
その場で言うか否かについて、
美也子(森七菜)は小学女子以降の難しい時期の言動と合わせ見事に演じきっていたと思う。
バスの中で魚の骨の話は、ほんらい距離感がつかめない母なのだが、骨の解決策を聞きたい好奇心がまさってしまう美也子の子供っぽさがとてもかわいらしい。
その言い出せないままの家族の生活は続いていく。
5人にとって事実であるにも関わらず、直接当事者の心に秘めて共有しない事が家族を維持させる秘訣だと言うのだろうか。
終盤で、アキコが美也子と麟太郎を前に自分と父のなれそめを話す。
当時「言わぬ」事を選んだ理由が明かされる。
言わぬが正しかったのか結論は見えない。
中盤、親族木村が父の遭難話を美也子らにバラしてしまうが、これは「言わぬ」を作品構成にしている中でヌケ感を作ったのは言わぬを際立たせる作戦なのであろうか。
作中、家族を作る事についての戸惑いで麟太郎の仕事の不安定さや彼女との距離感が描かれている。
残念ながらこの部分の仕上がりがイマイチだと思った。
絵描きや音楽よりマシとはいえ、不安定職のフリーカメラマンと言う設定は、あまりにノーマルだと思う。
優柔不断さは、染谷翔太の名演で痛いほど伝わってくるのだが逃したコンペの大きさが彼の未来にどのくらいの影響を及ぼすのか測りづらく、そのため彼女に弱気を見せる展開にも事の重さが判りづらかった。
そのコンペを獲得する事が彼女の実家に挨拶する時の手土産に値することだったのか?
大人麟太郎の立ち位置が不明確なまま、ダメな彼を迎えに来たと言うエンディングで彼女の立ち位置がぼやけてしまったしビンタも手土産も「なるほどね」と言う程度にしか感じ取れなかった。
最後に撮影について、
私が思っている一般的な絵作りとして注視点をセンターに持ってくるのが多いと思う。
いわゆる日の丸写真である。
だがこの作品は意図的なのかやや左右にずらしている事が多いと感じられた。
初見なので見返してはないから判らないが、
明けた空間側に何かを置いての事だろう。
そして人の会話のシーンだとしても被写界深度を駆使し奥行き感を操作して風景にように撮っている場面が多いと思った。
シュンと麟太郎が焼き芋をするシーンも手前にスコップの手が大きくあって、多くの場合撤去するだろう。
しかし、そのスコップがボケを見せる事で奥行き感が強調され、奥に居る二人が際立って見えた。
他、玄関前なども石灯籠を右に挟む事で距離感が強まっている。
またピントの位置が独特だと思った。
被写界深度を強くする結果、画面中のどこか1点にピンを合わせるワケだが、それが注視点でない事がある。
すべての該当箇所を言えないが、
出棺の時、アキコの挨拶のシーンでアキコにピントを合わせているのでは無く、霊柩車の金細工にピンだった。
劇場で1度しか見てないので、
思い出せる範囲でしかないがこのような感想をもった作品である。
結論として、
観覧者の経験値によって共感ボリュームが変わる「欲張りな作品」だと思う。
(ぱ)
※注意
公で言えないような表現を含むので
本文は取り扱い注意。
====
一般論から判断すると「いい女」の定義は、
「オスから見てメスの特徴を十分に備えている」
事があると思う。
そのメス的特徴は、
オスを性的に惹きつける点と、
母性の役割を果たせる能力があるだろう。
また一方で、
「いい人(人格者)」の女版と言う捉え方もある。
性的な魅力は、
受けるオス側の嗜好もあるので
世論に近くなるほど個性派薄まっていくだろう。
昨今では、
バストのサイズや肌の質感などが高係数なのかな。
オスから見たメスの魅力は、
本来生殖本能から来るところが大きく、
自然界では「子を産める」事以外にメスへの期待はない。
それはメスがオスを選ぶ基準でも同じである。
現在の日本では、
子を産めるか否かを公に議論する事ははばかられるが、
オスがメスに感じる現代の魅力基準も元をたどれば、
「子を産めるか?」につながっていると思う。
自然界の言い方では「優秀な遺伝子を残す本能」と言う。
ざっくり言うと、
その人種において、平均とかけ離れた容姿は病気だと言う判断基準。
例えば、ガンや奇形によって顔面に醜態がある場合は、
一般的には、接触を避けるだろう。
また日本人において、過度の肥満や痩体も懸念がある。
日本人には日本人にあった体型があって、
その基準から大きく離れると生理的な課題を懸念せざるを得ない。
つまり、現代に置き換えて言うなら、
「ブスは病気持ちと疑え」と言う事が出来る。
逆に、均整の取れた顔面や体型には良好な健康状態を感じ取れ、
「子を産めるか?」と言う問いに高得点で答える。
残念ながら、66.7%の確率で、
親の遺伝子により身長や体型は継承される。
牛乳を飲んでもダメなのだ。
ワシは粘着性のミミクソなのでワキガや体臭持ち。
色弱もある。
長女に、その点が出てしまったのだろう。
三女には、クセ毛が出たようだ。
次女には、最初に疑って掛かる所。 笑
またママの遺伝子からは、
たぶん160センチを超えない身長とか、
表情などが遺伝したんだろう。
スマンなぁ…….。
その様なハンデ(あるいは武器)をもって、
親から生まれた子は、次の親となっていく。
その時に、選択基準として、
「ブスは病気持ちと疑え」と言う本能が出る。
これは、人間の種の話とすれば、
オス・メスの役割が、
糧と家に分かれている事を元にすれば、
オスは家に糧(食・金)を持ち帰り、
メスは家を維持し、子を育てる、
その役割を果たせるのか?判断となる。
※九州だけ説(By詩音)
メスの立場でオスを見る場合でも、
ブスよりハンサムの方が、
生まれてくる子の事を考えれば、そうだろうし、
ハンサムの方が、社会的価値も高く、
仕事もうまく行き、稼ぎが大きいだろう。
メスも、
ブスにコンプレックスを持っている陰より、
明朗な表情で社交的な方が、我が子の母としてふさわしい。
想像してみるといい、
もし次女が歯科矯正をしてなくて、
出っ歯のガチャ口だったら??
口元ブスなのに、口が悪いって。
ああ、恐ろしい…..。
次女は、色白でかわいらしいから、
ちょっとトゲのある事言っても許されるわけだ。
三女も、攻撃的な言動があっても、
美女だから許される。
もちろん、長女も、
ピーキーな言動をしても、
母譲りのふんわりとした表情で相手を懐柔する。
そう言う視点で考えると、
「いい女」は刻々時代の美女に近いべき。
と、思う。
少なくとも、
・衛生的で小綺麗
・非攻撃的
・犯罪をしない
くらいは維持しておくべきと思う。
ちなみに、ワシが、いま美女だなと思っている
上位5は、
・山本舞香
・TWICEツウイ
・古畑星夏
・朝比奈彩
・堀田真由
辺りかな。
いずれも、写真集や宣材で見た印象ね。
お会いしたこと無いから、見た目で判断。
つまり、見た目で判断するなら、
「いい女」は美女であるべき。
ちなみに、
Coffeeyuminインスタでフォローしているのは
店長がいい女と思っているタレントさん。
キビシイ審査の上、日々入れ替わる。笑
====
次に、
「いい女は良い母」と言う基準。
男女とも、生まれて成長するに際し、
最初にお付き合いをする女性は母である。
その母のそばに居心地の良さを見つけた子は、
人を判断する基準に母の像を思い浮かべるだろう。
ワシは、マザコンだ。
北九州時代、
1歳の年末に中耳炎から腎臓病へと罹患し、
2年にも及ぶ入院生活を母(光子)と過ごした。
当時の医療は、母が泊まり込みで付き添わねばならず、
馬場家は2つの生活基盤の時期があった。
入院生活なので、近所の子と遊ぶとか、
行楽地に出かけて見聞を広める事は限られ、
世の中の全てが、母に委ねられての生活。
TVもない時代だしね。
その特別な経験を、ひとまずは横に置いて、
「いい女は良母」について延べる。
ティーン男子が彼女を求める際に、
将来的に、我が子の母にふさわしいか?
などとは考えないだろう。
ただ、日々の接触の中で、
母的な部分や母的な気配りに心やられる事はある。
部活終わりにアメ玉くれたり、靴を揃えたり、
日課表聞いたら、準備物の補足があったり。
他、
花が好きとか、子犬に手を出すとか、
針仕事が得意とか、日常の中に日常を見つけた時、
男子はホロリとなるだろう。
男子的には、
ウチのカアチャンに近い、
あるいはウチのカアチャンにない優しさなども、
男子ホロリのポイントだろうと思う。
かといって、
コロッケをイモ潰すところから作るような彼女は、
イマドキ、面倒に思われるかも知れないけど。
さらにイマドキ、
イモからコロッケ作れるカアチャンも居ないけど。
成人になっても男子は母像を頼りにメスを見る。
要素も具体的になって、
「家庭を持った場合に金を預けられるか」
「自室は整理されて衛生的か」
「立ち振る舞いは時の常識を逸脱してないか」
「特殊な嗜好や宗教、あるいは団体加入はないか」
などが判断となるだろう。
もちろん、同好のつながりであれば、
飲酒・喫煙・宗教・交際範囲なども
周囲に懸念されても、当人では問題無い。
だが、ワシの験上、
周囲の懸念は、だいたい正しい事が多い。 笑
ワシの最初の嫁は、
話のしようにもナゼか写真とかも無くてね、
まあ、次回、バー上白木の時でも、思い出しながら話すよ。
それに終わりを決めたのは、
互いに、今回の婚姻にはムリがあったと気がついたから。
良いときもあれば、悪いときもある。
でも、その方は、怒るとワシをビンタした。
あるいは、料理を壁に投げつけるなど
物に当たり散らす事があった。
ワシは、将来をイメージし、
「ワシの子に手を上げる人」だと思った。
なので、終わり向け積極的に進めた。
まあ、詳しくは来年のお楽しみかな。
どこの国でも人間社会では、
女性が母になると言う固定概念があると思う。
昨今LGBTの活動で公にはばかられるが、
自然界を見回しても、それを完全否定する事実はない。
それがあるとしても、
「いい女」の定義となると母像を持てるか否かは大きい。
つまり、
「いい女は良い母」
====
「いい女は良い人」
よき母の拡張版である。
我が子に限らず、すべてを我が子のように扱う。
もしくは、
老若男女限らず「いい人」として社会に位置する。
1つ、ここで言う「いい人」とは
「都合の良いパシリ」ではない。
「いい人」
・お金にセコくない
・公益に積極的
・自論がしっかり
・好奇心旺盛
・差別意識が薄い
・他人の悪口を言わない
男女問わず、こういう点ではなかろうか。
「いい人」にカウントされがちなのが、
散財をしておごってしまう人。
これは、いい人ではない。
また、それ私がやります!って
極端に協力を申し出る人も、NG。
何にでも首を突っ込むのは一見公益性に見えるが、
それは取捨選択の基準がボヤけているため。
本当のいい人は、参加すべきポイントを見極め、
その理由も理路整然として証明出来る。
ゆえ、主催側にしてみれば、
参加してもらえた事に価値が出てくる。
これは、お金もそうで、
基準なしに出金するのはNG
加減が難しいのだが、
「いい人」は圧倒的である必要は無い。
「カリスマ」ではないのだから、
ごく自然に居る、そのような存在。
目の前の流れに手を出してくる事は無いが、
よどみが起これば積極的に解決案を提示し、
労して、出して、みなが同じ良い結果をみなと望む。
それが
「良い人」である。
つまり、
「いい女は良い人」
であってほしい。
====
まあ、ちなみに、ワシの人生の中で、
「いい女」は誰か?と言えば、
もちろん、佐和子さん。
ワシは巨乳好みでもないし、
グラマーも趣味では無いから、
その点はそう言う事で。 笑
「美人」か???と言えば、
当然、もっと上も居るだろう。
でも、
・衛生的で小綺麗
・非攻撃的
・犯罪をしない
である。
知っての通り
「良い母」だ。
三信のお孫さん、
山崎会長のところの子
としか、アイデンティティがなかった。
何をしても正巳さん立子さんのカゲで、
頑張った事があっても当然の様にされてきて。
そんな人生に影響されず、
つわりに耐え「自分だけの力」で3つの珠玉を産んだ。
くつ下1つを買うにも四方に走り回り、
この時期は高専ロボコンの放送を見ながら
世を徹して夜泣きをあやし続けた。
今でも24時間忘れること無く大切にしてる。(と思う)
いまでも千キロ離れた玉を磨きに飛ぶ事もしばしば。笑
「いい女は良い母」だ。
じゃあ、佐和子さんは、
「いい人」か?
それはどうかな?
・お金にセコくない
まあセコくはない。
ワシが家を離れ緊縮財政を宣言したが、
セコい生活をした事無いから続かなかったのはワロタ。
・公益に積極的
昨今、公益には私益が必要と気がついたか。
・自論がしっかり
そう育てられたからしかたないかな、
ここが弱い、誰かの話を決定の柱にしてしまう。
・好奇心旺盛
いまでも変わらず、ただ周囲とセンスのズレがある。
・差別意識が薄い
・他人の悪口を言わない
ここはある。
小さい頃から御嬢扱いされてきたからなのか?
言動にも選民意識がある。
人間なのでグチ的な事はあるが、
排除する具体的な行動はマズイと思う。
これまで気に入らない先生が何人キラれたか。
気になるのが、
反省して解決をしないこと。
トラブルがあれば分析をするけども、
「再発防止に徹する」傾向にある。
つまり失敗した事は二度と手を出さない。
例えとして適切か不明だが、
採用した教員がNGだった場合、
二度とそこの卒業生は採らないみたいな?
そして同校の悪口を言う。笑
さあ、トータル、なん点?
佐和子さんは、
「いい人」は少し課題がありそう。
美人 : 75点
良い母 : 90点
いい人 : 70点
くらいかな?
人格に点を付けるの失礼な話なので、
ワシもいい人ではないな。
なので、長女の質問に答えるとすれば、
「佐和子さんは参考になる」
としておきましょう。
(ぱ)
周囲にお手間かけますなぁ、あの二人。
パパの方針として、
もう1点、
次女がふわふわしてるのは、
目標としている道について、
誰も理解者がいない事も大きな要因だと思う。
発達をなんとかする場の設立なんて、
「火星に住みます」くらいの事かもしれん。
そりゃ、ダレだって「バカじゃね?」と言うだろう。
実際、東明の教師に、昨夏そんなこと言われ、
自暴自棄となり、あわせてナゾの体調不良で、
この1年くらい回り道してしまったわけだが。
決断の根拠を説明したくとも、
「前例がない」事を目標としているので、
それを「説明不足だ」と言い切るのはナシだと思う。
もちろん、家庭的に、お金の問題やら、
根本の人間関係(母との相性?)のこともあるだろうから、
この先ずっと、母が次女を支援し続けるのもムリだし、
次女に独立心を早々に付けて欲しいと言う部分もあろうかと。
その視点から見たら、
ふわふわしてないで、進路を決めろ!
と言うのは、それはそれで一般的だ。
だけどなぁ、
次女に近い場所にいる者は、
「ええやん」って言うべきだろう。
現実問題は、整理せねばならないけど、
「やろう」としている事を
「やりもせずに」NGと言うのはどうか?
パパ的には、
次女の方針に根拠がないのは承知。
なので、本来ならNGと言うだろう。
ただ、
「絶対に失敗」と言う根拠もない。
パパは、これまで
いくつもの事業を立ち上げてきた。
たぶん、99%が失敗だったと思う。
あなた方が知っている事でいうならカレーワゴン。
結局、車体の破損をカバーして2台目を用意するだけの
蓄えを作るほどのビジネスに成長させる事は出来なかった。
これを失敗と言うなら、失敗と評価されるのを受け止める。
でも、その中で移動屋さんメンバーとのつながりや、
メンバーの活躍の場を作れた事や、
移動販売車と言う存在の社会的認知を成せたのは、
山崎雅治さんの事業創造の成果だと思う。
もし、ホントに山崎さんのやってきた事が
反社会的で無意味な事なら、
いまでも、移動屋メンバーに顔を出すと、
みな、喜んで、山崎さんに近況を話してくれるのは、
どう説明するのか?
少なくとも、成果があったから、
山崎さんを歓迎してくれる空気があるのだと思う。
何かをやろうとして行くとき、
その成否の判断基準は、見る人によって違ってくる。
その基準の一番小さな所は「自己満足」かな。
まずは、自分が納得いく地点まで行くことが重要。
その課程において、
目標と違った部分に進む事もあるだろう。
望んで行く事もあれば、望まなくやむを得ずの時もある。
その判断には、周囲の意見を加味することもあれば独断もある。
自分の人生は、主役が方針を決めれば良い。
中学で、長女が剣道やろうとした時、
「あー、ムリムリ、やめとけ」と言われて、
ヤメさせられていたら、
人生大きく変わっていたと思う。
パパもママも、自分の人生のなかでケの字も無い剣道、
突然、長女が始めると言う。
善し悪しの判断付かんよね、笑。
「そっかい、がんばりや」としか、言えない。
また、バーで働くことを、
「女の子が深夜の仕事なんてトンデモナイ!」
「酒のある場所なんてはしたない」
と言って、反対して欲しかった? 笑
でも反対する理由は、社会通念上、
「女の子を心配する親の意見」としては、正論でしょ。
正論、言って欲しかった?
次女も、そう言う事であると解釈できないだろうか。
であるなら、近くにいるものは、
他所の事例において、失敗例・心配毎を遠慮無くぶつけて、
判断材料をもちより、決断精度を高める手伝いをすればよい。
残念ながら、前例のない事なので、
プラス思考になる「良い事例」を集められないのが残念だが。
それでもやると言うなら、全力で応援すればよいと思う。
話はちょっとズレるが、
佐和子理事長が、先代より受け継ぎ、
これまで運営してきた中で、
佐和子理事長は新しい試みに着手した事がある。
パパは、
これでもか!と言うくらい、まずは否定する。
その一問一答を乗り越えて行くと、
佐和子理事長は、
「まるで自分のアイデアの様に周囲に語る」笑
結果として、理事長先生の中の本気度が増して、
周囲もその気迫に乗せられ、事が進んで行く。
大園舎建て替えも、
トークに依頼すると言うので大反対した。
内容にも、様々な事を指摘した。
それでもヤルというポイントが見つかったので、
いま、あの壮大な園舎があるわけ。
もちろん、パパが指摘したように、
ソーラー発電が大きな重荷になってきてるし、
大金をつかって付けた、意味不明な2階部分外の木造の柱?も
見た目の開放感に寄せた結果、
莫大なエアコンコストが掛かっている。
でも、それでも良いと思って、
建てたのだから、自分でも文句はないよね? 笑
次女も、同じ事だと思っている。
進学について、可能性や不可能性については、
これまでパパは、何度か次女と討論をした。
その結果として、
「そっかい、がんばりや」と言うのが、パパの結論。
=================
次女に送ったヤツ
長女とFaceTimeしてました、
話は聞いた。
パパの見解としては、
「次女の人生の主役は次女である」
例えば、
次女がロイヤルバレエ団に入りたいと言う
パパは、
そっかい、がんばりや、と言う。
それについて、
退団後はどこのカンパニーに入るのか?
自分で立ち上げるのか?
演目はなにを踊る?
パートナーは?
会場は?資金は?
など、いま議論する事ではない。
次女は、
ペンギンの家で発達の子の手伝いをしたい
と言う目標を持っている。
その要素に医師免許が要る。
公認心理師でよいのか?
それとも資格は不要なのか?
ひとまず現場(実態)を知るために
幼稚園教員の立ち位置を確保する道もある。
そうすると、
やってみなければ判らない。
もちろん家庭が子に施す支援としては
チャンスは1度しかない。
迷ったあげく、ニートはマズイな、と思う。
などなど、いま検討できる事を精査し、
短大を選択した事であるから、
それで良いと思う。
次女は、
それらの経緯を整理して
考えをプレゼンするのは、あまりお得意ではない。
一方、母は、
それらを多角的に受け止める事が苦手だ。
衝突はあってしかるべくしてアル。
そんなフワフワした事で良いのか?
と長女は言うが、
天変地異や事故などで、
長女が無事に昭和を終えて帰ってくる事は、
100%保証する事が出来ないように、
次女は次女の中で、
100%保証を問われたら、
「やってみなければ」としか答えられない。
なので、
「やってみようと決心した」次女を
「そっかい、がんばりや」と
言う以外、なにがあろうか。
だと言うことを、長女に説明した。
てな話。
=========
その、お返事。

ですって。
(ぱ)
現実問題は、冷静に俯瞰から判断すべきと思う。
次女は、それが出来そうなので、それを前提に。
ちなみに、長女は事の中心に分け入り、
そこで手に取れるものを全部口に入れてモゴモゴしながら判断するタイプ。
悪いわけでは無い、小規模(300人未満)の組織のリーダーでは
このタイプの方がうまくいく。
(余談)
小規模組織とは「全員の名前を覚えきれる範囲」が基準。
まあ、システム屋的に言うと300人がタンパク質記憶出来る上限かな。
それを超えると電子記憶が必要だと判断している。
さて、
医学部と教育学部との分岐点と言う事だ。
「発達障害児のケアを適切に行える場の設置運営」
が、未来のやまばとの姿の1つであると、
三姉妹共通の認識のようだ。
もちろん、これは他所にはない特徴であるし、
ビジネスとしても有利であろうと思う。
5年位前なら、この路線を突き進む事に、
ワシは異論を持たなかったと思う。
2015年か?
新園舎も出来て、その興奮が落ち着いた時期かな。
ところが、
昨今の理事長先生の路線変更に見られるように、
園児数の減少に対する危機感や、
保育園新設の準備負担、そして不安感。
また、令和になって何1つ良いことが無い日本、
そして世界情勢。
機会があれば大分市の経済的歴史を遡ってみると判るだろうが、
大分市は、地場の特徴を生かした産業は1つもない。
昭和40年代に、国策だった新産業都市計画に指定され、
別府湾を囲む大分市沿岸部に、
新日鉄・住友化学・昭和電工・九州電力が進出してきた。
のち、東芝・ソニー・TI(IC製造)が進出。
いわゆる県外企業がやってきて、大分市民に生きる糧をもたらした。
多くの市民は、農業・漁業を捨て、それらの会社員になった。
その産業にぶら下がるように、飲食・小売り・医療・学校が栄え、
企業城下町として野山を切り開いていった。
ところが、21世紀になり、製造業の大手は、
中国・ベトナムに仕事を奪われ衰退。
その減少は大分のみならず、日本各地で起こっている。
かろうじて医療機器・薬品・業務系電子機器が支えているが、
自動車(好調はトヨタだけ)も、あと10年すれば斜陽だと思う。
いま、日本の産業を支えているのは、オリンピック向けの建設と
東北地震の後始末だけ。
これはプラスの金を生む産業ではなく、
マイナスをさらに落ち込ませないための救済事業であり、
その産業にお金をつぎ込んでいるのは、国務費(つまり税金)と
東京電力など当事者が自己修復にサイフを吐き出している。
だが、その金は、回り回って消費者が負担している。
簡単に例えるなら、三姉妹で着回しコーデしてやりくりしていたが、
それも限界がくると、どうしても新たな服を導入せねばならない。
しかし、その導入にかかる費用をだれも出せないって感じ?
てことは、いずれ、繕ってきた状態を維持できず、
マイナスが隠せなくなり、アウト!
多分、2020年の年末くらいに、
オリンピック関連事業が終了し、
大量の労働者余りが発生するだろう。
未来に借金として残るだけの3兆円をかけて作って来たビックビジネスが終了し、
その予算規模で動いていた人数が、一夜にして無職になる。
仮に、2万人が携わっていたとして、
仕事がなければ生活支出はぐっと減るだろう。
その2万のお腹を満たすための飲食業や農業漁業が
相応に減少を余儀なくされる。
学校も、医療も、娯楽も、嗜好品も、均等に落ちる。
その救世主として、カジノ構想があるが、
難しかろうな。
で、いま、やまばとは理事長先生の判断で、
幼稚園事業のみならず保育園経営の追加に動いている。
ワシは、ちょっと心配している。
これまで佐和子さんは経営者の経験がないので、
新しく事業を創造する事は相当の負担だと思う。
もちろん、やれば出来ぬ事ではないだろうし、
言うても、保育園と言うビジネス自体は世の中にあるわけで、
真似から入るでも良いし、まるっきりコピーでもよい。
しかし、これまでやまばとに集ってくれた家庭とは違い、
DQNも多くなるし、対応のしかたも幼稚園方式は通用しないだろう。
職員も、幼稚園教員と保育士は違う。
給食も、若大将任せではムリだろう。
事故も増えるだろうし。
いまでも、熊谷せんせいがバスぶつけたりして、
高齢化の影響がでてきている。
来春、やめるとか言い出すかな?
さらに言えば、佐和子さんがあまりお好きで無い、
グズグズ団体活動も頻繁に顔を出さねばならず、
やまばとなら幼稚園業は歴史があっても、
保育園の世界では新一年生扱い。
やまばとは立子さんから引き継ぎ、
町田先生、森本先生などが先代の精神を体現する者がいて
それを受け継いだ先生がいて、なんとかなってきた。
でも、そのエキスが薄まってきたからこそ、
やまばとスピリッツにブレが生じ、
「肌に合わない」離職者が出てきたわけ。
過去の従事者を呼び戻して維持しようとしているが、
それも限界があるだろうし、
頼みの綱の園長先生も、スピリッツを発揮する方ではない。
あるいは、理事長先生が発揮を許してないか。
そこに、保育士が、その世界の常識で言動すれば、
衝突は避けられない。
かといって、理事長先生は、
その人たちの人心を握り、左右させるほど、
その道のプロとしての実績はない。
自分で解決できない事は他人に意見を求めるが、
その意見収集の範囲が極めて狭く、
かつては「なんでもパパが言ったから正しい」として
やってきたわけで、
今はどうか知らんが、
今後、困った時に誰の意見で左右されるのやら。
変な宗教に入らねばよいけどなぁ。
ホント、だいじょうぶかいな?って思って居ます。
だから、詩音さんに「山崎家初のプロ」になってもらうべく
昭和に行ってもらったわけだが。
で、5年前ならいざ知らず、
前述のような世の中になってしまっていて、
さらに理事長先生の新たな野望がプラスと出るかマイナスか?
そう考えると「発達の子たちの安全な場」をもくろみ、
準備あるいは運営をする余力があるだろうか?
詩音理事長も、真凪ドクターも、紗代実天皇も、
やまばとがこれまで通りの存在である事が前提であり、
その基盤がダメになってしまうのであれば、
極端、山崎さんちの生活すら危ういって事になる。
そう言う点から見つめると、
ひとまず、やまばとの足固めに専念する事が求められるのでは無いか?
ビジネス、経営の用語に、
「リソースの集中」と言う表現がある。
直面している問題を解決するには、
持っているリソース(人・物・金・チャンス)を
課題解決に集中して、他は止めておく事を指す。
あるいは、自分の役目では無い事、
別の場所の方が成長が望める事を切り分ける事など。
先日、ZOZOの前澤社長が、ZOZOをヤフーに譲った。
世の中、賛否あるようだが、ワシは正解だと思う。
前澤社長と接したことはないが、
彼はクリエータータイプだろう。
何かを見つけ出し、それを精査し、形に仕上げていく事が任務。
ZOZOは、楽天と違い、各ショップを切り口に展開するのではなく、
商品カテゴリーを切り口に買える場所を作った。
例えば、
Tシャツと検索すると、全てのショップからTシャツを表示する。
従来なら、ショップありきの所を、商品全面に連結した発明だった。
その次に、ZOZOスーツで、
購入者の体型に合わせてのチョイスで自動化を試みた。
これも新しかった。
ちょっと問題もあって、再検討と言う所でストップ。
ZOZOは順調であったが、新しいことをするには、金が要る。
メーカーをテナントにして家賃を取る方式では利益に限界があるので、
自社ブランドを作り、利幅を大きくする方法と取ったが、これが大失敗。
もう、この頃から、ZOZOは会社として「維持」の状態に落ち着いていた。
つまり、
クリエーターは不要であって、適切な番頭さんが地味に日々を営む事が必要だった。
そうなると、クリエーターは面白く無い。
自分の会社なのに、面白い事ができない場所になった。
だから、正月に一億円お年玉をしたんだろう。
あれよと、ZOZOは悪評の的となって落ちていく。
そこで、維持の得意なヤフーと協力して、
我が子のZOZOを託したと言うところなんだろうとワシは分析している。
前澤社長の立場で未来を見つめたとき、
やりたい事を整理したら、いまZOZOに情熱を注ぐ事では無く、
何か次の事に「リソースの集中」すべきと判断ってところか。
ZOZOを売って莫大な金を手にしたとも言われているが、
その権利は借金の保証になっていたので、多分ゼロだろう。
得したのは、孫さんだけかな。
でもな、孫さんの会社、ソフトバンクグループって、
借金、15兆円なのよねぇ。
インドの国家予算くらい。
つまりつまり、なんの話かと言うと、
「世情にあわせて臨機応変に行動するべき」と言うこと。
当然、試験点数の問題もあるわけだろうが、
次女が、医師への取り組みを、ひとまず保留にして、
やまばとの足固めに「リソースの集中」をするのもアリだろう。
前述の通り、やまばとの混乱が予想されるとしたら、
医師になったとして、6年後、帰ってくる園はないかもしれない。
あるいは、発達の子を見るような施設はムリかもしれない。
以前、ワシが作った予算マップでいうと、
やまばと幼稚園とペンギンの家を2つ維持するのは、
「年間2億円」ていどの動きが必要と見積もった。
どう思う?
であるなら、次女が教育学部への進学で、
教員あるいは保育士のプロになることは選択肢として間違ってない。
さらに言えば、事業を経営していくには、
他にも、プロフェッショナルな能力が必要で、
幼稚園・保育園の維持には、
・教員
・保育士
・栄養士
・保健師(医師)
・バス運転手
・事務員
・施設維持(電気・水道・空調・営繕)
前述の様に、
・経済学の観点から世情を読み分析する力
以前から言ってるが、
許認可業である以上、行政との付き合いは欠かせず、
・行政システムの理解や従事経験
・地方自治体
・議員との交際
・公職選挙法の熟知など
公的判断をする
・法務(弁護士)
・税務(税理士)
いまや情報は経営に無くてはならないもので、
・情報処理(IT能力)
・情報戦略(ストラテジー)
あとは、自分たちが何をしているのか、
・広報
・コミュニケーション
・ソーシャルメディア管理
など、どれも欠かせない。
三姉妹で、どの部分を自らが任務し、
どの部分を内部スタッフとして常駐させ、
いずれを外注とするのか。
ワシも、いつまでも居ない。
三協技研も、あと10年は持たないだろう。
そんなこと、すべての要素を複合すると、
答えなんか出そうにないけどな。
笑
(ぱ)
オリジナル文章は、前澤氏の名前が違っていたので、そこのみ訂正。
ちょいと、前々から気になっていた事があります。
先日、2019/9/8~9の関東圏台風被害で、
成田空港が孤立状態になりました。
遡れば、
2011年3月は東北地震で避難を強いられ
多くの人が避難生活をしました。
身近な話で言うと、2016年に熊本を震源とする、
大分県でも被害があった熊本地震。
幸い上春日ではこのような体験をする事はありませんでした。
しかし、いつ起こるとも限らず、明日かもしれない。
それを考え避難グッズや飲料軽食を上春日に準備しています。
でも、それは私たち6人(お隣含む)の生存についてです。
私にも実際の経験はありませんが避難所生活は、
多分、アスペの私にとって大変な苦痛の場でしょう。
そして同様な子供たちも避難所に居るはず。
発達障害を持ってない子供でも大変なストレスがあるだろうし
唯一の味方の親が壊れてしまう事もあるかもしれません。
そんな時に、集団の中で冷静に判断をして、
子供たちを落ち着かせる活動が出来れば良いだろうなと思っています。
避難所の生活域の割り当てに左右されるでしょうし、
その場の大人たちも混乱して判断出来ないでしょうが、
そこには病気や極度の疲労の人が多くいます。
その横で子供に大泣きや騒がれたらもっとひどい事になる。
速やかに、適切な場所で「子供たちの居場所」を設け、
落ち着かせ、そして心の苦痛を和らげる寄り添いができないか?
そう思って居ます。
簡単な話で言うと、折り紙でメダルを作って、
おとなしく出来た子には配ってあげるだけでも効果はアルでしょう。
手遊びや、判り安い歌の合唱でも良いかも知れません。
一緒に配るための折り紙をするでもよいし、お絵かきでもいいです。
小高学年や中高生で手伝ってくれそうな人を集めるのも任務です。
そして本領発揮は発達障害の子たちをいち早く発見して対処すること。
保護者さんにそっと寄り添い、その子のスキキライの情報を得て、
できるだけ落ち着ける環境を整える事が出来るか否か?
ホントは逆なんだけど、笑、
もし子供が冷静になってくれれば、
それに見習って大人も冷静になってくれるでしょう。
そのノウハウがあれば良いなと思って居ます。
もちろん、急に出来るわけでは無く、
日頃からそのような事に目を配る習慣が必要です。
飛行機の中でグズる子供や集団の待ち時間で騒ぐ子供に、
もし保護者が困っているようなら、
声をかけて寄り添う行動が積み重なっての事だと思います。
一方、この活動や訓練は何も利益をもたらしません。
たぶん手応えもないかもしれない。
しかし子供を預かる事を生業としているのであれば、
決して無駄な事にはなりません。
些細な事まで心眼を配るのは訓練してなければ出来ない。
その訓練の先には、自園の子供たちの動静を見守り、
あるいは職員の環境にも関連してきます。
意思有る者が目を通した場は洗練されていきます。
資格とか免許などの公的認知とは別次元に存在し、
お墨付きや経歴ブランド力とも違った視点での事。
それは自分で積み重ねた経験から来る「力量」だと思っています。
まあ、とは言え、園もビジネスの1つ。
ゲスな話をするなら、
この避難所対策カリキュラムは有事の際に行政へのアピールになります。
うちの園が市議や県議を通じて、
速やかに現場に入り、子供たちをケアしたとなれば評価絶大。
許認可業の私学は、とても美味しい話です。
さて、どうする? 笑