自炊生活:材料編

・調味料

  • 塩:「伯方の塩」・「シママース」
  • 醤油:フンドーキン「ゴールデン紫」・キッコーマン「本醸造」
  • 刺身醤油:フンドーキン「さしみ醤油」
  • 薄口醤油:フンドーキン「うすくち醤油」
  • 酢:ミツカン「米酢」
  • ミリン:宝酒造「本みりん」

・ソース

  • ケチャップ:デルモンテ「パインヴィネガーケチャップ」
  • マヨネーズ:キユーピー
  • デミグラスソース:イカリ「かけるデミ」
  • ウースターソース:カゴメ
  • とんかつソース:カゴメ
  • たこやきソース:おたふく
  • どろソース:オリバー「どろソース」

・香辛料

  • とうがらし:ハウス「一味唐辛子」
  • 塩コショー:ダイショー「味塩こしょう」
  • コショウ:GABAN
  • カラシ:ハウス「ねりカラシ」
  • ワサビ:ハウス「ねりワサビ」
  • ごま:「しろごま」「くろごま」

・粉

  • 日清製粉:薄力粉・中力粉・強力粉

 

 

・だし・スープ

  • フンドーキン「白だし」
  • 創味食品「創味シャンタン」
  • ユウキ「ガラスープ」
  • クノール「カップスープ」
  • アジノモト:コンソメキューブ

 

・油脂

  • サラダ油:
  • オリーブオイル:
  • ごま油:

 

・保存食

  • インスタントラーメン:「うまかっちゃん」・「サッポロ一番」
  • シーチキン:

 

・半製品

  • ニッポンハム「中華名菜シリーズ」

 

もう死なずに済みそうです

「胆石症」の手術が終わりました。

3月26日の緊急発作から、現実を突きつけられた「死ぬ覚悟」が和らぎ、死ぬ確率がとても低くなりました。

「胆石症」
簡単に説明すると、胃と肝臓の間に「胆嚢(たんのう)」と言う臓器があります。
そこが詰まって、痛くなったり、破裂して命の危険がある病気です。

この子は、主に脂質を分解する酵素(胆汁)を貯めておくタンクです。
胆汁は肝臓が作りますから、あくまで貯めるだけの係です。

基本的に、人が食べた脂質(あぶら)は胃で分解され、グリセリンになります。

だが、それで足らないほど過剰な脂質が流れて来た時、肝臓が胆汁を出して応援します。
それでも足らないときは胆嚢から貯めていた胆汁を出して、十二指腸での分解を助けます。
消化の作業は、十二指腸で行います。

胆嚢の大きさは、iPhone5長さのジャガイモくらい?

ところが、この胆汁の中に石灰質(石になる成分)が含まれる人が居て、タンク内で石になる。
それが結石と言う状態。


#雅治さんは、胆嚢結石(タンク内をコロコロするタイプ)

石が出来てしまうと胆汁を出す時の管(出口)を詰まらせてしまう。
実際のところ、胆汁の出が悪くても、肝臓がその都度作るし不足するなら下痢で出すのでOK、死ぬ可能性はとても低い。

で、問題は、タンクの蓄積を出す事が出来ず、タンクが破裂してしまう時、この場合は死ぬ事がある。
あるいはギリギリ膨らんだタンクの皮が裂けて血がにじみ出る状態が長く続くと、隣の肝臓とくっついてしまい、そこに腫瘍ができたり変な血管ができてしまう。

そして石が出口に詰まってタンクがギリになってくると、危険信号を人間に教えるため、ものすごく痛い。
その痛さと、他の症状(嘔吐・発熱・黄疸など)と合わせて死ぬこともある。

胆石がある人が、発作(詰まって)死ぬ確立は、40〜70%

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雅治さんは、ずっとこの痛みを、たまーに軽いレベルで感じていたのだが、腰の痛みとか神経痛と思っていた。
思い返せば、10年以上前からあったような気がする。

あべ整骨でも、その痛みを相談したことがあったけど「腰のバランスや姿勢が悪い」って言われてた。
やはり整骨院は医者じゃないよね。

痛みのイメージは、アップ練習なしでイキナリかけっこするとワキバラが痛くなる事があるよね、その痛みが超痛くて肋骨の下(みぞおち)にずっと強烈に続く。

炎症の痛み(ズキズキ)ではなく、ずーっとお腹の内側をどこかをツネられ握られている感じ。

これまで、そんな症状があったんだけど、その時は背筋を伸ばしたりストレッチしてたら良くなっていたから、筋肉のケイレンかと思っていたワケ。

知識としては胆石症の事を知っていましたが、知識と現実を結び付けられず自分でもわからないことでした。

30歳を過ぎると、法律で毎年健康診断を受けねばならない。
この検診も19年続けてきたのに、そこでは発見されないなんて、健康診断なんてアテにならんね。

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で、その最大の危機が、3月26日だった。

※この話の事は、紗代実さんの責任じゃないから誤解しないでね。

3月26日は、府内城の祭り第2日目と、紗代実さんのバレエ発表会。
雅治さんは、もう上白木に引っ越したあとでした。

前日に続けて、26日朝、城址公園に行って、祭りの準備を始めます。
前の日に一万円札を千円にしたくて買った缶コーヒー(ミルクたっぷりなんとか)を一気飲み、それが朝ごはん。

#この缶コーヒーのミルク成分が、引き金の第1弾。

なんだか、お腹が痛くなるが作業の姿勢が悪くて筋肉痙攣かな?と、いつものストレッチで治った。

その日はタカの石橋美里さん親子が佐賀から来ていて、佐賀の焼き肉を朝食代わりに出してくれた。
それが油のかたまりのような牛肉(佐賀牛ってブランド肉)だったわけ。
名刺サイズくらいの一切れをいただいて、作業に戻る。

11:00、缶コーヒーの痛みが治まったので、鉄板一家の焼きそばを食べる。

しばらく会場の見回りやゴミ処理などで、作業をするが、また痛くなる。

#佐賀牛の脂身が引き金の第2弾となった

でも、今度はストレッチでは全く良くならない、立ったり座ったりするが、ダメ。

良くならず困ったものだが、時間は12時なったので、宗さんやフェイスペイント吉崎さんに出かける事を告げ、ビーコンへ出発する。

楽しみにしていた、さよさんのバレエを見るために、会場を後する。

痛みは、まったく良くならず、ひどくなるばかり。
別府に入って、ゆめタウンが見えた時、あまりの異常事態に引き返す事を考えた。
でも、さよさんがバレエを辞めると聞いていたので、最後の舞台か?と行くことにした。

運転しながら道沿いに病院を探したけど無くて、別府市の休日当番医をネット検索する。

ビーコンが見えた時、ドラッグストアがあったので痛み止めを買おうと店内に入るが、適当なものが見つからず、吐き気がきたのでストアのトイレで、焼きそば全戻し。

この時、全身汗だく。

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ドラッグストアから、松林の駐車場に車をいれて、ホールへ。

痛み止めを買わなかったので、痛みは続いていた。
おなかの痛みの顔、受付で不審者に思われないようにして会場入り。

13:05くらいかな、舞台下手側の丸い席の最後列に座る。
舞台で、ばあさんが長い挨拶をしていた。

その後、大分の第1チームの演舞があり、
第2チームの県外組の時は意識失っていた感じ。

奇跡的に、第3チームである紗代実さんの演舞前には意識復活。

紗代実さんの第3チームの演舞が始まる。
ステップが大きくてキレも良くて、ステキなダンサーになったなぁと感心する。

第3チームが終わったら即撤収。
トイレに駆け込んだが、もう吐くものもないし、食べ物原因ではなさそうだと判断。

なんとか車を運転して大分市に戻る途中、非番で休みの馬場先生に電話連絡。

「ハラが痛い、冷や汗が出ている、当番医でも大丈夫か?」
「魚食ったか?」
「そういえば昨日、アジ寿司を食べた」
「昨日なら昨日痛いはずだ」
「みぞおちが横一文字に痛い」
「胆か膵か?なんとも言えんからアルメイダに行け、自力で行けるか?救急車出すか?」
「なんとか自走で行ける」

ひとまず上白木に戻り、保健証やお薬手帳を持ってアルメイダに向かう。

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3月26日は日曜日だからアルメイダも休日対応。

休日受付で、症状と馬場先生の弟であり相談の結果「ここへと指示があった」と告げる。
看護師さんと体温などの問診の間に、休みだった馬場先生到着。

内科の診断では急性胃腸炎の疑いでアプローチを開始する。
病気によっては痛み止め薬が違うそうで、ドラッグストアで買っていても無意味(効かない)だった。

さて念のために、腹部CTを撮ることになるが、時間がかかりそうで断りたかった。

雅治さんは、痛みが引いたら祭り会場に片付けに戻りたかった。
そして、藤野くんのお見舞いに行きたかった。

そこに馬場先生「せっかくのチャンスだから検査をすべきだ」と言い、そうすることにした。

30分程、CTの順番を待つ間に馬場先生は他の用事で帰っていった。

CT・検尿・採血とあれこれ検査を進めて行ったが、原因がCTだけで判明した。
胆嚢のある位置に、まっしろな丸が写っていた。

 

内科の先生は、疑う余地もなく「胆石症」と診断し、今日の症状もそれですべて説明ができると答えた。

この時点で、まだ祭りの片付けには間に合ったのだが、緊急度を計るため高繊細CTの準備に入る。
これは点滴で1時間かけて造影剤をいれて、内臓の細かな血管奥まで鮮明に映し出す仕組み。

それによって胆嚢のダメージ(膨らみの亀裂?)や肝臓との癒着がわかる。

 

造影剤の点滴をするのに処置室に案内される。

処置室(休日は全ての患者さんはER処置室で対応なのよ)で1時間かけて点滴を受ける間、宗さんや移動屋のメンバーに、しばらく城址公園に戻れないことをメッセージする。
雅治さんの点滴の横で、救急搬送されてきた認知症のGさんがワガママを言って家族が呼ばれて大騒動、またER医と専門医の口論(相手の段取りが気に入らないって)があって、結構な修羅場の中の1時間を過ごした。

点滴後、再度CTを撮ったところ、胆嚢の周辺に炎症があるようだが癒着はない、胆嚢が本来の形(ひょうたん型)になっているので今は石の詰まりがなくなったと判断。

そこで内科の先生は一言「じゃあ、いつ切りますか?」

「へ?」と、呆然の雅治さん。

内科の先生にしてみたら、胆石症だと確定したので今後の処置は胆嚢の全摘出手術で取ってしまうことです。
で、手術は外科の先生なので「僕の役目では無い」と、あっさりとした感じ。

急な話なので「今決められません、馬場先生と相談して考えます」と即答せず。

電子カルテの1行目に大きく「馬場Drの弟さん」と書かれて、外科の先生と今後どうするか相談をすべく、3月29日に再度アルメイダに通院予約をして帰った。

救急車でなく、自分の車だったので、自力でさらっと帰った。
上白木に帰り着いたのは、20時を過ぎていたので藤野くんの見舞いにも行けなかった。

その夜が、藤野くんに会える最後のチャンスだったのに。

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話は、少しずれるけど、26日、雅治さんが救急車扱いにならず、またひどい症状で死ななかったのは、藤野くんが自分の命と引き換えに守ってくれたのではないか?と思うことがある。

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「胆嚢全摘出手術」

簡単に言うと「めんどうなので取っちゃう」って事。

「胆嚢があるからさ、胆嚢に関する病気が起こるわけで、取っちゃえば一生その心配をしなくていいんだよ!」って考え方。

胆嚢は、前に書いた通り脂質を分解する胆汁を「貯める係」で、ないなら無いで下痢気味になるとか、その程度の事で生きて行ける。

以前は、胆嚢を切り開き、中の石だけを取り出す方法や、薬で溶かす方法、あるいは超音波で粉々にする方法などがあったけど、結局に石ができる人は取った後も何度もできてしまうので「胆嚢ごと取っちゃへ法」になったんだと。

雅治さんは、どうするか、けっこう悩みました。
と言うのが、三信のエライさんで、うちに生まれたのが女の子(長女)だと知れた時「さわちゃんを離婚させて男の子を産める旦那と再婚させろ会議」や「雅治さんを早く三信に招くため3人目を産ませない会議」があった事を教えてくれた人で雅治さんと佐和子さんの共有の友人なのだけど、その方が肝臓を悪くして最後の手段で胆嚢を摘出したあと2ヶ月ほどで亡くなったのよ、それもアルメイダ病院で。

それで、雅治さんと佐和子さんには「胆嚢を取ると死ぬ」ってトラウマがある。

また、虫歯は歯を抜く時代があったように、今は「実は取ったらダメなんで!」と言う常識に変わるかもしれない。

馬場先生にも、そのことを含めてアドバイスをもらいました。

もらったアドバイスを簡潔にまとめると、
「医療行為は現在の考えられる様々な試行錯誤の中で見つけた手法の中から、治癒確率が高い方法を用いて行われていて、結論からすると確率で判断されている」だって。

死ぬか生きるか、賭けだとすると、可能性の高いほうに賭けるって感じかな。

見方を変えると、成功率が99%だとしても100人に一人は死んだってことだし、
成功率1%だとしても、100人の中、一人は助かったってこと。

ただ、あたった人はずれた人は、本人にとって一分の1って話。

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3月29日に、外科の先生と面談の予定。

ところが、26日、自分のことで見舞いに行けなかった藤野くんが急変し、27日に他界してしまった。
29日が葬儀に決まったので、アルメイダを一週間先延ばしにして、藤野くんに付き添った。

一週間、考える時間をもらった事で、気持ちの整理がついた。

いずれにしても、石の詰まりの頻度は高くなっているし、今後、痛みも酷くなり、破裂して死ぬ可能性も出てきた。

そこで、今年からサファリに行かないことに決めていたのでGWの前後で手術をすると決める。

4月5日、外科先生の面談でもそう伝えた。
※馬場先生の関係者(家族)なので、外科部長先生(最高責任者)と面談。

今回は、内視鏡手術で行うと説明があった。

手術に備えて、心電図や肺機能の検査など、術前検査も全てパスして、あとは当日を待つだけ。

雅治さんは、痛みが再発しても大丈夫なように、緑のウエストバッグに鎮痛剤を持ち歩くことに。
脂っこいものを口にいれなければ発作は起きないので制御可能です。

約一ヶ月あるので、万一に備えて、あれこれ気がかりを整理することに。
仕事・クライアントさん・持ち物・秘密事項とか、明確にしておかねばならないことなど。

結構、忙しい4月だったわ。

そして、いちにち一日を大切に生きている日々を過ごしていました。

そう言えば、スペースワールドに行けなかったなぁ。

でも、美女と野獣4DX/3Dみたから、良いか?

何をするにも、最後の思い出になるだろうと、感じていました。

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4月26日に、アルメイダの外科チームから最終確定の連絡があり「30日入院・1日手術・3日退院」の予定で決まりました。

全身麻酔を伴う手術なので、家族の同意が必要なのだけど、馬場先生が引き受けてくれました。
これは、一般的には配偶者がすることですが、佐和子さんに頼る事は禁止なのでしかたないね。

また、みんなにお知らせしなかったのは、きさと先生の結婚披露宴の事で楽しみにしている広島行きを邪魔したくなかったからです。(島原遠征も?!)
知ってしまうと、気になってお祝いの気分を弱めてしまったりすることがあったかもしれず、教えませんでした。

真凪さんは手術の立会いの可能性も考えたのですが、登校日だと言うので、学校を休ませてまではムリだと判断しました。

ただ、手術の失敗で開腹への切り替え・輸血アレルギー・急死などの時は、馬場先生から詩音さんに連絡する事にしていました。

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さあさあ、入院に向けて準備を始めます。
MrMaxに歯磨きセットやミニビオレを買いに行き、タオルや着替えなど集めてバッグに詰め込み、修学旅行の準備みたい。

それと手術費用の話。
大半を保険のカードで出るんだけど、特別にホルトホールで手続きすれば、もっと割引になる。
収入によって割合も異なりますが、雅治さんは収入が少ないので、ぐっと安い費用ですみそうです。

そうは言っても、急な出費には変わりなく、上白木の工事も資金不足でしばらく停滞しそうです。

29日、ちょっとだけ上春日にお邪魔して雅治さん下着をもって行きました。
入院中には、佐和子さん洗濯の心地よい生活をするためにね。

死ぬのも、この心地よい下着で死にたかった。

しかーし!、手術直前から歩行訓練まではオムツなので、下着を着る機会は退院の帰りまで無いでした。

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4月30日、13時にアルメイダに入りました。
この日も日曜日なので、救急玄関から入り、受付に入院である事を告げて待機。

外科の看護師さんが迎えにきて、401号室の特別室に入る。


※お部屋は特別室を用意してもらい、馬場先生の社員価格で、これも割引。

看護師さんから入院中の諸注意や、今後の日程など説明があった。

14時に馬場先生が来て、いろんな書類にサインをしてくれた。
また病棟スタッフに「弟よろしく」とあいさつ回りをしたようです。

最後に、麻酔科の部長先生がきて、アレルギーの確認に答える。

で、30日の予定は、全て終わり、まだ16時かよ。
翌朝の手術開始時間まで、ずっと暇です。

特別室は、TVが無料なのとスマートフォンやPCはOKなので、なんとか時間を潰す。
Macに映画のファイルをたくさん入れて持っていった。

入院服に着替えて、あれこれしてたら夕食、メニューはこんな感じ。

夕食のあとは、公式行事一切なし。

ベッドも家と違うし、あまり寝付けない一晩でした。

さよさんと、ちょっとだけ、鯉のぼりのメッセージしたかな?

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5月1日、手術当日

朝6:00に、看護師さん登場で、検温・血圧測定。

手術前なので、ご飯・飲み物禁止で、うぅーっとなりながら時間を待つ。

7:30 馬場先生が兄として登場 出勤直後みたいな感じ。

スタッフさんから、着替えのグッズ(ふんどし・圧力ストッキング)などをもらって、待機。

8:30 馬場先生とともに、執刀医の先生たちとミーティング。
内視鏡手術のざっとした方針説明があって、すぐにおわり。

9:20 着替えて、歩いて手術室へ。

やあ、すんごい手術室だった。

通常、ご家族とお別れするドア先まで、病棟の看護師さんが付き添ってくれる。
そこには、手術室専用のスタッフさんが、全身衛生衣を装着して待機している。
#思わず「お菓子工場みたいやー」と言うと、周囲、失笑……。

名前と生年月日を言って待つ、看護師さんとはココでお別れ。

麻酔科の、これまた最高責任者の部長先生が登場で、次のドアまで引率してくれる。
この場には、執刀医が腕を洗うアレらがあった。

医療TVドラマで見るのと同じくらい広くて、機械がいっぱいだった。

#写真は参考イメージ 雅治さんの手術風景ではないです

いくつもドアを超えて、第2手術室へ入ると、狭いベッドが中央にあった。
もちろん天井には照明のアレと、脇には心電図のアレとか、壁には人工心肺とか、横には機械出しのアレとか。

麻酔科の先生の指示で、ベッドにすわり、心電図・脳波計・酸素量計・血圧計などを装着されながら、酸素マスクを顔にかけられる。

このマスク、空気の出が悪くて、呼吸がしにくかった。

「点滴の準備ができましたからねー」

と言う声の記憶を最後に、意識を失い雅治さんは一度仮死状態になる。

次に気がついたら、手術は終わっていた。

一体、何が起こったのか、さっぱり判らないまま。

これ、なんか金払ったのに映画見られなかった損した気分。

雅治さんが気絶した直後に、馬場先生は手術室に立会いに入ったそうだ。

 

この間、何が起きたのか、事前説明と事後説明をつなぎあわせたところ。

・点滴の中に全身麻酔をいれて体全体を眠らせる <= ここで仮死状態
・全身が停止するので、人工肺を気管挿管する
・シッコを流さないように尿道カテーテルを入れる
・ウンチ漏らしても良いようにパンツをオムツに交換する
・腹部の神経を止めるのに硬膜外麻酔をする
・胃の膨らみを取るバキュームを鼻から挿管する
・おへそに大きな穴1個
・みぞおちに小さな穴3個
・ブラケットをつけてアーム・カメラを挿入
・体内での操作開始
・胆嚢につながる血管をクリップ切断
・胆嚢と胆管をクリップ切断
・肝臓から胆嚢を剥がす
・取り外した胆嚢を袋に入れて穴1から出す
・4個の穴を縫合する

以上の手順だったようだ。

執刀した白石外科部長先生は、スーパーサージェントらしく、出血も数ccで抑えた超技を魅せたようで、馬場先生は「手術に入らせてもらって勉強になった」と感激していた。
普通の案件では執刀してくれないセレブな先生らしい。

当然、ミスなどはない。

事前に予見されていたトラブルとしては、
・胆嚢血管をぶち切って出血を拡大する
この場合は内視鏡での継続は無理なので、お腹を大きく切る通常開腹手術に切り替える。
・すると出血量も増えるので、輸血が必要になる
・輸血をすると、輸血感染症や輸血アレルギーのリスクが増大する
・肝臓から剥がれなくて失敗したら、肝臓自体の機能も損なうおそれがあった

内視鏡手術で行われた今回の手術だが、開腹手術なら入院は一ヶ月近くになる場合がある。

もちろん、そんなことはなく、計画通りの手順で終わったのだった。

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さて、
「やまさきさん、やまさきさーん」と声に
「はい」と答えて目が覚める。

全身麻酔が解け始めて、意識が戻って来たわけだ。

壁おくの方で、
「馬場先生、いし石」「ああ」と聞こえた。
摘出した石を欲しいとお願いしたものを馬場先生が受け取った場面だろう。

今どき、家族が心配するなか、ゆっくり目を覚まして「手術は成功ですよ」みたいな事はないみたい。

 

雅治さんは意識復活して、そのままベッド搬送されて、3階の手術室から入院する4階のナースセンター横で術後ケアに入る。

酸素マスクと点滴と血圧計と酸素量計をつけられ、シッコを取る尿道カテーテルをつけたまま、することもなく、夕方までウニャウニャと、その場で過ごした。

尿道カテーテルが痛くて、内視鏡の穴の傷も痛かったので、鎮痛剤を入れてもらう。
少し和らいだところで、昨夜あまり眠れなかった睡魔が戻って来て寝てしまう。

ただ、ここはその日の手術を終えた人がじゃんじゃん帰ってくる。
で、症状によっては声を出してうめく人もいるし咳き込む人もいる。

部屋は暑いし、うるさくて中々落ち着けなかった。

18時くらいだったかな、手術開始から9時間後、血中酸素量が安定しているので自室に移動してもらう。

部屋に帰れば、部屋を自分の温度に変えられるし、TVやiPhoneやMacがあるので、時間はつぶれる。

部屋に戻ると、電話がいくつかとメールが入っていたので、対応する。

馬場先生にも部屋に戻った事をメールする。
雅治さんの急変に備えて、馬場先生はこの日、日勤に続けて夜勤にしてずっと付き添える体制を作ってくれていた。

部屋に戻り、しばらくは各種点滴スケジュールを消化が目標であった。
もちろん、飲料や食事は一切禁止、水も飲めないのは辛かった。

しばらくして、馬場先生が、摘出した石を持って来てくれた。
白鳥外科部長先生の執刀が素晴らしかったと感激したようす。

石は、最大直径10mmくらいだろうか?

このサイズにまで大きいと、自然治癒は絶対に不可能だし、次に詰まった時は死んでいただろうな、とのこと。

なので、本当にこの4月に死んでいたかもしれない。

手術に踏み切ったことは正しい判断だった、って事かな。

 

あと、手術に立ち会った馬場先生は、雅治さんの内蔵をカメラで見てたそうで、肝臓などもキレイだったらしい。

「あれだけ酒飲むんなら、肝硬変で岩になってるかと思ったが、大丈夫だ」って。

 

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その後、麻酔科の先生が12時間後の確認にみえて、正常と認めてくれた。

あとは、翌朝(5/2)まで、数時間毎の看護師さんの検査が繰り返され、ただひたすら朝を待つだけ。

TVをみたり、macで映画をみたり。

寝心地が悪いから動きたいのだけど、力をいれると傷が痛いし、尿道カテーテルがひっぱられて、これまた痛い。

なかなか厳しい一夜を過ごす。

さよさんと、服のセレクトで、メッセージをする。

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5月2日
アルメイダは、6時起床

もう起きてたけど、看護師さんが起こしに部屋に来た。

たまったシッコの処理や、点滴の切り替えなど、朝の行事がスタート。

水を飲む許可がでて、少しづつ水やお茶を飲む、大丈夫みたい。

8時前に朝ごはん、もういきなり普通食が出てくる。

夜勤明けの馬場先生が、様子を見にくるが問題ないのでさっさと帰る。

9時くらいに、尿道カテーテルがはずれて、ものすごい開放感を得る。

ミニ心電計も外されたので、歩いてOK。

と言うか、尿道カテーテルを外したので、その後のシッコはトイレに歩いて行かねばならない。

この時点、まだまだ傷は痛い。
30日の21時から絶食だったので固形物がないからウンチは出ず、やたらとオナラが出る。

以前、紗代実さんが入院した時みたいに、身体が完璧な証拠はウンチが出ること。

10:30 外科部長回診が始まる。
これまたTVみたいに「患者は部屋に戻って待機してください」とアナウンスがあって、外科部長を先頭にぞろぞろと部屋に入って来て、部下の説明にウンウンと言うだけの話。
ただ、外科部長の白鳥先生は、雅治さんの執刀医なので自ら傷をみて、イイネって言った。

それが終わるのをグダグダと待っていたら、お昼になったので、ご飯。

午後も、シッコ行く位で部屋を歩く程度に、時間つぶし。

今日の目標は、点滴のスケジュールをすべて終えることかな。

痛みは、鎮痛剤(錠剤)でOKな状態まで回復、でも踏ん張ると痛い。

16時くらいに、すべての点滴が終わって、完全に自由の身になった。

ウンチは、無事に出る事を確認した。

もう治療はすることがないので、傷の治り具合が退院の目処だ。

雅治さんは、早く帰りたいので、その旨、担当医の山本先生に伝えたところ、執刀医もOKだとのことで、5月3日の好きな時間に帰ってOKとなりました。

18時に、夕食をたべて、48時間ぶりに、シャワーをする。

あとは、5月3日の朝を待つだけだ。

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部屋のベッドは、医療用なので、細かく電動で動くのだけど、
堅いし、タオル地でないし、枕は小さいし。

どうしようもなくて。

そのせいで、首回りの体調が悪くなってしまった。

一秒がほんとに、長く感じた。

でもね、こんな生活を藤野君は、40年続けたんだと思ったら我慢せねば。

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5月3日 6時 看護師さんが朝の見回りに来る
退院のタイミングの確認で、朝食後、すぐに退院する旨、意思統一する。

8時前に朝食が来たので、がっついて食べる。

それから、部屋の中の私物を片付けて、自分の服に着替えてで帰る準備をする。

8:20 馬場先生が休みなので、送迎に着てくれた。

ナースセンターで、帰ると挨拶をして、アルメイダを後にする。

 

 

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上白木に帰って、患部を撮影

 

 

これで、ひとまず、終わり。

ママの洗濯品質に感謝するべき

上春日の暮らしは、お金の有り余る状態では無いし、欲しいモノが何でも手に入る事はありません。

ただ、朝起きて・一日を過ごし・食を取り・汚れを清め・身体を癒やす。

そういう事が、ずっと続いています。

それは、ママ、佐和子さんのおかげだと言う事も、今一度考えて欲しい。

みんなは、ママが幼稚園から帰ってきて寝るまで、何をしていると思う?

最近では、一緒に居ることがあるから判るだろうか。

ママは、ずっと洗濯の時間軸を中心に、家のあらゆる事をしています。

これは、パパがママと暮らすようになってから、欠かさず続けられてきた事です。

着るモノ・身につけるモノの品質って、ほんとに体調や人間性さえ左右されると思います。

人の悪口を言うようで、なんだかヘンですが、パパは以前、一人目の奥さんと1年間生活をしました。
その方は、それまでの生活習慣なのか、おうちの事が苦手でした。
でも、周囲から「あるべき奥様の姿」を指摘され苦悩していました。

時代的に、乾燥機も無く、洗濯洗剤が賢くないので、洗うだけではニオイやシワが出てきます。

パパは、くさい臭いTシャツを着て過ごす事が多かったです。

着るときは、洗濯ハンガーから取るようなことでした。

パパとその方は、そういう事の積み重ねの中で、互いが想像する家庭像とのギャップを感じ、終わりを選びました。

ほどなく、佐和子さんとの接点が復活し、共に歩くようになります。

城崎の狭い洗濯コーナーには、大きなモノはおけなかったですが、ママは工夫してやっていました。

やがて、みんなが生まれて、洗濯量もどんどん増えていきます。

ほんとに、赤ちゃん用の肌着なんて、ほんとふわふわしてて、食べてもOKな位でした。

やがて、上春日に引っ越し、みんなも大きくなり、一人一人のベッドになると、シーツやタオルだけで、トラックで運ぶのか!、ってくらいの分量になってきました。

洗濯機は、終わるまで最大3時間ほどかかります。

ママは、それを軸に、その夜、自分が寝なければいけない時間を逆算して計画を立てます。

だから「制服出しなさい!」「洗うモノないの!」は、その計画決定に必要な質問であって「即答」を求められています。

パパが居た頃、みんなの態度で「のろのろとした対応」「本気に動いてない」感じを受けていました。
時には、ママの指示を小馬鹿にするような発言があったように思います。

これから生活を、共に歩いて行くチームのメンバーとして、考えてみてもらえませんか?

ママが、求めている協力姿勢について、をね。

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一方、上白木に逃げ出したパパは、ママの高品質な衣類から大きくかけ離れ、自分でなんとかやっています。

自分でやって、初めて判ることですが、洗濯機の終わりに合わせて、生活を組み立てるのは、なかなか難しい。

早く始めたいが、出来るだけ一度で済ませたい、締め切りをいつにするのか? なんて…….。

 

幸い、上白木には、Wii部屋奥にあった乾燥ができる洗濯機をもらいましたのでナントカやっていますが、当然にシワクチャなTシャツだし、ガリガリのパンツになってしまいます。

19年間、一度も、洗濯で合格をママからもらえなかったパパなので、しょうが無いかな。

大切な事なので、最後に、もう一度

「上春日の心の健康はママの洗濯品質で維持されている」

と、今、思っています。

みんなを、ママが大きな声で呼ぶときは、なんらかの理由があります。

iPhoneいじってないで、まずは側に駆け寄って要件を聞いて、さっと動いて下さい。

お願いします。

山崎雅治さんのWikipedia

一般公開されていませんが、山崎雅治さんのWikipedia と言うものが存在します。

これは、この春から城址公園の観光ガイドを仕事で作って行く中で、必要なIT技術を勉強するために作った物で、本来は府内城を完成させた「竹中重利」などの紹介を載せるための物です。

テスト練習の段階では、資料が揃わず、「自分の事なら書けるじゃん」と記載したものです。

http://wiki.oita-emaki.jp/index.php/山﨑雅治

これは、家族以外に、ダレにも言ってはいけません。

 

ちなみに、書いてあることは、事実ばかりです。

 

雅治さんを知るための参考になるのであれば、見て下さい。

 

大切な友人を亡くしました

#後半に、病院での様子の写真があります。

キツイ人はご注意!

 

 

 

みんなも、知ってるように、藤野君が亡くなりました。

ご家族のお話からすると、眠るように命の終わりを迎えたようで、苦しくて苦しくて死んだのではなかったとのこと。

みんなにとって藤野君は、

パパの仲の良いお友達で、カレーワゴンにも付き合ってくれていて、スーパーマリオの天才。

と言うところでしょうか?

みんなは、パパが美術のテレビ番組を作っていた事は知っていると思います。

ずっとずっと遡ると、後藤智江先生の裏方スタッフの中に、BEPPU PROJECTの山出さんや、詩音さんの赤い風船詩音を書いてくれた阿部浩二さんなど居て、その友達の輪が広がり、やまばと幼稚園でもお世話になっている、二宮圭一先生にたどり着きます。

1994年の夏、パパは二宮先生を訪ね、「TV番組作りませんか?」と言い出します。

いろいろあって、1994年11月21日23:30からスタートしました。

二宮先生は、芸大に行きたい生徒達に絵を教える塾をしており、首藤君やアベタイスケさんもここの生徒でした。

そして、藤野君も、ここの生徒でした。

藤野君は、1975年10月5日生まれ

生まれた頃から病気がちで、のちに、アスペルギルス肺炎という難病だと判りました。

これは身体が、ばい菌に対する力が弱いために、すぐにやられてしまう事が原因です。

藤野君は小さい頃から入院を繰り返し、小学校も院内学校だったとの事。

それから、二宮先生の塾に入り、首藤君などと楽しく過ごした様です。

 

パパの番組にも「芸術家」として出演してもらったこともあります。

1998年11月放送分より

 

若い頃は、病気で、肺炎だと言うのに、煙草を吸って、酒も飲んでました。

パパと出会ってからは、パパの仕事を手伝ってもらう事もあり、幼稚園の作品展などで活躍してくれました。

しかし、カビには敏感で、幼稚園のホールはカビが多いと藤野センサーが反応したため、それ以後は幼稚園に来てもらう事はなくなりました。

 

藤野君は、オレオレ的な所はなく、じっくりと観察して、しっかりと自分の意見を持っていました。

パパがカレーワゴンを始めるときも、それ以後も、ずっとファンで居てくれました。

入院している時以外は、開店記念日は必ず来てくれてました。

そして、パパが、世界でたった一人だけ、「お客様に出す商品を任せられる人間」と認め、カレーワゴンの第2店長としていました。

藤野君は、カレーワゴンでの体験で、ドームの大混雑を強烈に覚えているようでした。

実際、売り切れでお客から殺されそうな勢いで怒られてしまったので強印象です。

若草公園の、まちなか市場は、みんなで行きましたね。

アフリカンサファリでは、なくてはならない人でした。

藤野君が粉つけしたカラアゲは、ほんとに美味しくて、売上げもよかったです。

一日に70キロ売った事は、二人の勲章でした。

かき氷をしたときは、ママもいっしょで、藤野君の車に鳥が食い込んだと大騒ぎしました。

 

上春日の12月のパーティーも、いつも来てくれていました。

ぎんなんや、シシ肉を持ってきてくれていました。

 

 

これまで、なんどか死にそうになっていた、藤野君。

今回も、そうであって欲しいと、思っていました。

2017年1月に入り、大分医大病院に入ったとは聞いていました。

だけど、ばい菌の抵抗力がないので、子供がいる家庭のひとは面会できないと、会えませんでした。

 

ずっと、気になっていました。

 

2月16日に、からあげが食べたいと、メッセージが届くが、5個食べる元気が出るまで待つという。

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セブンの唐揚げ飽きました。 中国産の味がします

食えるんなら、持ってくぞ
少数しかたべれないです
いつが、いい?
2個くらいしか食べれないので、 5個食べれるようになったらお願いします
食欲はゼロです

まあ、そら、キツかろうで

ケンタッキーとか食べたいけど、ひとくちで良い感じなんです

==============

上白木のパパの家も、藤野君がきて大丈夫なように、徹底的に壁を剥がして、カビを取りました。
その事も伝えて、時折、工事の写真を送ってあげてました。
3月21日
輸血するほど、体内出血がひどい記念に、写真を送ってきました。

 

パパは、心配になって、

「行っちゃいかんのか?」と、聞きました。

もうちょっと待って欲しい、馬場さんに来てもらうとき、ニンテンドーSWITCHを期待しているとバカな事言う位、元気だった。

 

3月22日、面会OKと、言うので行きました。

重大な選択に迫られていました。

A案:このまま様子を見るが改善はしない

B案:気管挿入すると「改善の可能性」はあるが生涯しゃべれない

「馬場さんならどうしますか?」と聞いてきた。

パパは、C案を探すと答える。

ただ、それには、もっと体力を付けねばならんから、ウマイ飲食ブツ作るよ、と、パパは藤野君と約束をした。

 

その夜から、昼夜を問わず、二人で、メッセージを繰り返した。

・藤野君が馬場塾の生徒だった時の事

・藤野君は、カレーワゴンのデザインをしたかった事

・再び二人でカレーワゴンに乗りたい事(出店)

・馬場さんに泊まり付き添いに来て欲しい事

・残される家族に恩返しがしたい事

・死に直面して恐怖におびえている事

 

 

3月23日の夕方、TVの延長ケーブルが欲しいとおねだりアリ。

話を聞くと、気合いをいれて病気と闘うから、TVを見やすい位置に移動するため、長いケーブルを買って来て欲しいって。

パパは、藤野君のやる気にうれしくなって、すぐに狭間AEONで買って、一応、Switchの無い事を確認して病室へ行きました。

歩けないのでオムツをしてるんだけど、足を広げて「馬場さん、オムツ!」とふざけてました。

藤野君と会ったのは、これが最後。

 

 

パパは、さっそくペースト状の介護食の研究を始めた。

それと同時に、スープの準備を開始。 3月24日の夜のこと。

これは、3人が、赤ちゃんのときに、離乳食で食べた、命の始まりのスープ。

その事も連絡をして、楽しみにしてくれてたみたい。

すぐに持っていきたかったが、パパは城址公園の祭りがあり、そのため面会時間に間に合わず、スープが出来上がる状態を、メッセージで紹介していた。

3月26日の日曜日になんとか持っていこうかと思っていたが、パパの都合で行けずじまい。

 

藤野君からは、固形物食べられないと判っているのに

「馬場さんの唐揚げが食べたいです。」とメッセージ。

これが、藤野君が馬場さんに送った最後のメッセージ。

 

27日の月曜日、夜ご飯に持って行ければ良いな、と準備を進めていた朝 9:53。

ご家族から「夜中から危篤になりました。もう意識はありません。」と。

 

都合が悪いことに、この時、冷蔵庫の引っ越しのため、大人数が上春日に来る予定だった。

その為の準備をしており、工事の都合上、止められない状態。

15時にはなんとかなるので、終わり次第行きますと、返事をした。

 

 

だけど、2017年3月27日11:48 藤野智久 永眠

 

最後に会えなかったし、スープも出せなかったし、からあげも渡せなかった。

 

結局、15時に大分医大病院に行くと、首藤君とタイスケさんが居て、藤野君の希望で病理解剖が終わるのを待った。

 

17時に、霊安室に呼ばれ、藤野君と再会。

もう、お話はできません。

 

藤野家の葬式は、家族と地域の人が、きっちりとやるようなので、パパたちは出番はなく、解散。

 

3月28日 通夜だったが、宗さんの用事が前々から決まっており、ちょっと早めにお参りだけして退散。

 

3月29日 葬式

11時から始まり12時で終わったが、パパと首藤君・タイスケさんらの数名は火葬場まで行くことに。

お骨を拾わせてもらい、物理的な藤野君と、お別れをした。

 

その後、藤野家のお疲れ様会に参加して、パパ達は解散した。

 

 

 

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今回、藤野君が、死ぬ直前に食べたかった、からあげを食べさせて上げられなかった。

もちろん、気管挿入なので、物理的にムリなんだけど「食べたい」と言う人に届けて上げられないのに、料理人をやっている意味があるんだろうか?

実は、この失敗は2度目で、山崎正巳Gちゃんの時もそうだった。

 

https://yamasaki3.bbu.jp/2006/05/29/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%B7%B3%E3%81%A8%E9%81%8E%E3%81%94%E3%81%97%E3%81%A6/

 

正巳Gちゃんは、死んだ年の正月に食べたステーキがもう一度食べたかった。

みんなで療養先の陽光園に行くときに、パパがホリズミのステーキ肉を数日間かけて味付けをして最高の状態で食べさせて上げた事があった。

それがとても美味しかったんだろう、それを食べたいって、死ぬ2日前に、Gちゃんはママに言った。

ママはそれを聞いて明日出来ないか?と言うが、急いでも3日間ほどかかる物だから明日はムリだよ、と簡単に終わらせた。

そして、正巳Gちゃんは、2日後、ステーキを食べられず、亡くなった。

 

それが、とてもトラウマになっていて、またしても藤野君で大失敗。

パパは、料理人の資格がないのかもしれない。

 

でも、一方で、辞めたら、藤野君が悲しむかな。

 

以上

 

映画の撮影に参加しました

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#
# この話の内容は、他の人に話をしてはいけません。
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応募のキッカケは、

大分県の未来の計画の中で、
もっとロケにきてもらおうと、
そういう活動が始まった事を知り、

エキストラ募集を見たからです。

知っての通り、
雅治&紗代実で応募しました。

7月26日、応募者は
コンパルホールに集まって、
オーディション形式の面接がありました。

面接は、自己紹介と寸劇でした。

審査員は、
監督・プロデゥーサー・キャスト担当、の3人

台本をもらい、その役柄を演じます。

設定は、
「とある商店街で盗難火事が起こった翌日の住人」

それを、3人が一組になって、
住人A・B・Cを交代しながら演じます。

ただし、大分弁はナシ?
そして、台本の先、どこまでアドリブできるか?

そういうオーディションでした。

紗代実さんは、子供チームだったけど、
どんな感じだったのかな?

パパは、大人チームでの面接でした。

大人オーディションは、
地元の芸能事務所から来てる人が多かったようです。

特に、審査員の一人が、
大分の芸能事務所とつながりのある芸能スクールを担当しており、
そことのつながりが強いのかな?と思いました。

ミネプロダクション

フロントページ

 

今年(2015)の、
ミスユニバース日本代表2位の猪子里奈さんが
ここの所属のようです。

余談ですが、現在、大分市では、
このミネプロダクションが、
一番、所属タレントが多いみたいです。

でも、大分では仕事もないので、
お祭りの司会とか、
大分の会社のCMやちらしのモデル
別府のウォータースライダーのヤラセ客とか、
そういう事みたいです。

ミスユニバースで上位だとしても、
ビアガーデンで司会程度しかないのが現状。

もったいないと思う反面、
やはり、その程度のモデルさんなのだと思う。

1つ気になったのが、
この事務所所属の、子役さんたちが、
パパの参加した時間ギリ前の子役オーディションにきていました。

男の子だったのだけど、
落ち着きがなく、待合室でもうろうろしていて、
飲んだ後のペットボトルを落としたり(部屋に音が響く)、
同じ事務所の先輩とおしゃべりしたり、
なんだか???な男の子でした。

そういうマナーを、
この事務所は教えることはないのかな?
そう、疑問に思いました。

なので、パパは、
もし、紗代実さんがそういう方向へ行っても、
大分の事務所や芸能レッスンには
行かせたくないです。

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さて、合格通知は、電話がありました。

パパも紗代実さんも、合格でした。

ただ、この合格は、
「この撮影に参加させても問題が無い人物」
という合格でしたから、
この段階では、役柄は決まっていませんでした。

さっきの男の子は、
結局、顔を合わせることはなかったので、
不合格だったのでしょう。

というか、
ミネプロダクションの人は、
現場で見かけませんでした。
別の形で参加していたのかもしれませんけどね。

合格通知をもらった数日後に、

パパは、
8月21・22・23日
9月1・13・15日
に参加する事を条件に、

道半町(みちなかばまち)職員 吉井(よしい)と言う
登場人物の役をもらいました。

紗代実さんは、8月30日の路上ライブ観客で検討している
そういう返事でした。

パパは、
「ガヤ(通行人・拍手役)で良い」
と思って、オーディション参加だったのに、
まじめな役柄をもらって、かなり困りました。

最初、担当さんと日程の事を話している時に、
8月21日は夕田
8月22日は幼稚園の夏祭り
9月13日はカレーワゴン出動予定
だったので、
「すべての参加は難しい」と答えました。

すると、
「役が付くのに、断るのは本気ですか?」
と、ちょっと怒られました。

結果、
夕田や夏祭りは、ママにお願いして、
カレーワゴンの出店も断りました。
※結果、カレーワゴンのイベントは主催者中止だった。

そして、
オーディション担当の岩崎さんから
キャスティング担当の岡村さんに
パパへの指示者が変わって、
日々、連絡をもらいながら、
8月21日を待つことになります。

サファリのカレーワゴンの前に、
散髪をしました。

それでもちょっと、怒られました。

オーディションの時と、
イメージが変わったら、
まずいことだったみたいです。

 

サファリで、自分の上半身を自撮りして、
メールで送って、OKもらいました。

8月16日、台本をもらい、
共演者さんの一覧をみて、

むずかしい人だとウワサの高い、
「泉谷しげるさんの部下役」なんて所などから
すこしづつ、自分が大変な事になっているのを実感してきました。

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いよいよ、8月21日

山崎家の夕田出発を見送って、
家で待っていましたが、
お天気の関係で、出番はなく、
それだったら、夕田に行けたのに。

だけど、その日の夜のエキストラ参加者説明会に
杵築まで行きました。

ここでわかったのですが、

今回の映画は、
杵築市と中津市が、協力しています。

なので、エキストラさんたちも、
杵築市と中津市の人が多かったです。

もちろん、その方が、
現場に通うのも、近いですね。

つまり、子役も、地元優先だったみたいで、
遠くの大分市からではなく、
近くの子供達を優先したため、
紗代実さんの出番は危うくなりました。

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次の日、8月22日も待機と言われていたけど、
お天気で、出番なし。

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いよいよ、8月23日
屋内撮影の為、絶対アリ!

場所は、杵築市大田
いぶきさん自宅?から、
さらに山の奥、車で30分くらい。

山の中に、
突然、近代的な建物が現れ、
そこが、杵築市役所大田庁舎

荷物を降ろして、
大道具さんやカメラさんが準備をしている
入り口付近に近づいて、
関係者を示す台本をポケットから見えるようにして
「吉井役の馬場です」とスタッフに言うと、
大きな声で、
「吉井役馬場さん到着されました!」
と、無線を使って、会場中に連絡されました。

すると、
キャスティング担当の岡村さんが出てきて、
「お疲れ様です、では支度部屋へ」
と、控え室に。

パパは、エキストラ用の
大部屋のつもりだったので、
最初にもらった部屋割りと違う所に
案内されたのを不安に思っていました。

そう、この時まで、エキストラと思っていた。

部屋に入ると、

 

・主演のファンキー加藤さん

・共演の小池徹平さん

・共演の平愛梨さん

・共演の泉谷しげるさん

そして、パパの相棒の
・dapumpヨリさん
が、すでに居ました。

部屋を入る時、
「吉井役馬場さん入られます」
と、案内されます。

みなさん、馬場が素人だとか
事情を聞いているのか知らないのか、
「大分のタレント馬場さんなんだな」
と、いう認識で、睨まれもせず、笑顔で迎えてくれた。

こっちは素人にもかかわらず、
ファンキー加藤さんから順に、
「よろしくお願いします」と
ご挨拶を頂きました。

大御所の泉谷さんは、
「おお、ああ、はいはい」
と、ぶっきらぼうながら
馬場さんを「俳優」だと思っていた感じで
応対してくれました。

誰一人として、
「馬場さんが素人」だと思っていないみたい。

なので、バカにした態度もせず、
期間中、ずっと敬意をもって、接してくれました。

さっそく、
衣装さんが、
馬場さん持ち込みの衣装や小道具(腕時計)を確認し、
他の役者さんと、色かぶりや柄かぶりをみて、
決めていきました。

ネクタイを締めたあと、
音声さんが、ピンマイクを仕込みます。

無線機をオシリの上にベルトで閉めるので、
一度、半分くらいズボン脱いで、はき直す。

その後、
メーク台に移動して、ケープをかぶって、
顔の色味化粧と、髪の仕上げ。

ここまでが「支度(したく)」と言う段階。

みなさんは、
もう数日、一緒に過ごしているので、
なごやかにしていますが、
こっちは新参者。

壁のイスにじっと座っていました。

控え室は、こんな感じ

やがて、助監督が、
「では、大蔵さん・吉井さん・渡辺さん」
と、役名で、呼び出しがかかります。

最初の撮影は、
町長室で、大蔵町長を前に、
吉井と渡辺が、ゆるキャラ大会の結果について、
意見を言うシーン。

状況としては、
ライバルの町のゆるキャラが勝ったけど、
私たち道半町のキャラもがんばった。
そういう話を、振り返るシーン。

吉井は
「でもあれは、夢の町のぴょん子で決まってたし」
と、セリフ有り。

立ち位置・セリフの順番・出のキッカケなど
確認が進みます。

これを「段取り」といいます。

でも、どうやら、吉井は棒読みらしく、
テスト段階で、なんどかNGをもらい、演技を修正される。

いよいよ、本番!

シーン9 カット1 よーい
スタート
カチンコ!

吉井の背中をカメラが移動しながら、
町長を中心に、3人がカメラに収まる位置へ。

最後は、渡辺が台詞を言って、
その内容に、3人は心を落として、黙り込む。

数秒・・・・・・。

カット!

・・・・・

OK!

無事、シーン9、は終了しました。

上映では、約30秒くらいのシーン。

撮影は、40分ほどかかりました。

仕事を終えた役者三人は、控え室で、次のシーン待ち。

控え室に戻ると、
平愛梨さんが、支度中。

バチバチのまつげが印象的でした。
TVで見た通りの感じの方でした。

小池徹平さんは、
線が細い身体で、女子っぽい感じ。

=============

次のシーン29

会議室で、
主人公 春雄(ファンキー)が
サイブイボマスクで行動を起こす事になって
それを応援する、春雄の元カノ雪(愛梨)と
春雄の幼なじみ権助(小池)
その3人と、道半町役場の3人で、会議のシーン。

ちなみに、権助(小池)は、
知的障害をもつ、ゆっくりとしたキャラ設定。

吉井の右は、大蔵町長(小泉)
吉井の左は、権助(小池)

前の演壇に、雪と春雄。

そこで、
雪がサブイボマスクを売り出す決意をのべる。

一同は、雪の熱弁に感激し、
次の町長は、オマエだと、絶賛。

吉井も、「大蔵さんより似合っとる!」と叫ぶ。

権助も、応援のため、イラストを描いて、
みんなの前で披露した。

そのやりとりを、

・会議室全体の風景
・雪のアップ
・春雄のアップ
・町長を中心に役所3人のアップ
・権助の動き

などなど、10回くらいにわけて、
カメラの位置を変えながら、
同じ事を繰り返し演技していくわけです。

当然、角度がかわっても、
おなじ手の位置や、振り向き方、
うなずき方など、あわせないといけません。

その細かな位置をみておくのが、
・記録、あるいはスクリプター
の仕事。

カットの前後で、手の位置がドコだったか?
飲んだコーヒーカップの置いた位置は?
など、細かくみて、調整します。

そんな感じで、段取り、終わり。

そして、いよいよ撮影テスト。

カット毎に、テストがあって、
それでOKなら、録画しながらの本番。

でも、初っぱな、吉井が大ミス。

雪のセリフ
渡辺のセリフ
そして吉井のセリフだったのに、

吉井役の馬場さんは、
どのカットをやっているのか、
意識を飛ばしてしまい、
自分の順番がきても、無言・・・・。

あまりの事に、大蔵町長から、肘打ち催促。

それでも進まないので、ストップがかかる!

助監督が、飛び込んで来て。

「吉井、ここでセリフです!」と怒る。

町長がご自分の台本を貸してくれて
「オイ台本読めよ、って読まねーオレが言うか?」
そう見せてくれた台本で、確認し、再度テスト。

でも、
「んだ、大蔵さんより似合っとる!」
が、うまく出なくて、再びストップ。

なんだかんだで、んだ、を抜いて、
「大蔵さんより似合っとる!」にセリフ変更。

テストを経て、本番!

シーン29 カット1 よーい
スタート


カチンコ!

無事、カット1を撮り終えました。

カメラ位置を変えるのに、
役者はジャマなので、全員控え室に戻る。

吉井は、廊下で助監督に厳しく怒られる。
監督にも、怒られる。
プロデゥーサーにも、困ると言われる。

控え室に戻り、大蔵町長に
「お手間かけて申し訳ありません」とあやまり、
他のミナサンにも、頭をさげる吉井。

みなさん、大して気にしてない様子。

大物役者の泉谷さんも、
「あ、ああ、はいはい」と気にしてない。

15分位して、カット2の撮影開始。

呼び出しがかかり、全員が位置に付く。
これを「板付き」と言う。

さきほどの続きなので、
吉井のセリフの次、大蔵町長の
「かも知れん」と短いセリフからスタート。

で、テスト。

シーン29 カット2 テスト行きます、よーい
スタート
カチンコ!

「・・・・・・」

一同、待つ。

「・・・・・・」

ストップ!

助監督さんがきて、

「すみません、大蔵町長、いただけますか?」

町長からのセリフがつまって、ストップになった。

大物役者のすることなので、誰も怒らず。

大蔵「えー、オレからか? なんだよ、そう言えよ」
助監「はい、さきほどから、そうお願いしました」
大蔵「知らねーよ、じゃあカメラやってやるよ」
助監「いえ結構です、町長役でお願い致します」

大蔵「だいだいオマエ(吉井)がオレに注意しろよ!」
と、吉井(馬場)に話を振ってくる。

吉井「はい、失礼しました!、気をつけます」
大蔵「しょうがねぇなぁ、やってやるよ」
一同、大爆笑で、再び準備に入る。

大蔵町長のミス

でも、吉井は、思ったのです。

泉谷さんは、こんなミスはしないはず。
「かも知れん」と言う短いセリフを
忘れるはずは無い。

きっと、吉井役が、
前のカットで、自分の失敗を深刻に捉え、
萎縮してしまっていると感じたのか、
「失敗はあるよ」って事、
教えてくれたように感じたのでした。

その後、クランクアップまで、
吉井の大きな失敗は無かったけど、
吉井の出番の時は、必ず大蔵町長の横なので、
板付きの時、細かな演技を指導してくれました。
「もう少し、声を出したほうがいいな」
「オレが止めに入るから引っ込める感じで」
もちろん、イジリで、
「台本読めよ」ともおっしゃってた。

そんな感じで、上映6分程度のシーンを、
3時間ほどかけて、終えました。

吉井役は、この日、これで終わり。

みなさんに、ご挨拶をして、現場を後にしました。

=============

8月の終わりの事

撮影現場は、杵築からはなれて、中津へ。

次回の吉井の出番は、9月1日だけど、

それをひかえて、8月30日に、
この映画で、一番の盛り上がりの
商店街ライブの撮影がありました。

次の吉井のシーンは、この盛り上がりを見て、
イイ感じになった空気を受けての場面になるので、
どんな盛り上がりなのか、見に行きました。

そして、
女優紗代実さんの出番の可能性最後の日。

前日までに、コールシートが来なかったので、
※出演者に配られるスケジュール表


公式には、紗代実さん、出番なし確定。

でも、見学して、エキストラの人数に調整があるようなら、
紗代実さんの出演も可能性があった。

キャスティング担当さんにお願いして、出演お願い出来るかと、
紗代実さんに、朝、行くか聞いたら「行かない」って。

まあ、出られるか判らないから、
「見学に行く?」って聞いんだけどね。

残念。

撮影場所は、中津駅前の商店街の中。
ほんとに、死にそうな商店街でした。

7:30に現場に入って、
キャスティング担当さんに、ご挨拶して、
見学の許可をもらいました。

時間も進んで、9時くらいだったか、
エキストラ支度場所に、大人数が集まってきた。

本来なら、紗代実さんも、ここに居たはず。

すると、その集団の中で、
涼しげな眼差しの、見たことがある女子。

なんと、いぶきさんがいらっしゃった。

8月21日の、エキストラ説明会にいなかったので、
知らなかったけど、応募していたらしい。

長い待ち時間、紗代実さんが来てたら、難しかったかな?
声も出せないし、遊び道具も無いし、
じっと、狭い部屋で、静かに待っているだけだったから、
きびしい事になってたかも。

それか、いぶきさんと、遊んでいたかな?

この商店街のまわりに、
都町のような、酒飲み町があり、

撮影の中、朝帰りのキャバクラのねえちゃんとか、
その関係の客とかが、騒ぎながら乱入。

パンツはみだしのミニスカで、
警備の線を無視してはいろうとしたり、
写真撮ろうとしたり、大声出したり。

きっと、この町は、そういう意識なんだろうなぁ。

住人のマナーの度合いの事を「民度」と言います。

パパは、中津の民度の低さを残念に思いました。

時間も進み、
見学したかった、シーン50が始まったのが、11時過ぎ。

エキストラ控え室から遠くてみえないので、
担当さんにお願いして「スタッフ証」をもらい、
撮影現場の真ん中に突撃!

怒られないように、影で見ていたら、
「馬場さん、もっと前でいいですよ」と言われる。

つまり、出演俳優が「役作りのために見学」って事だから、
悪いもなにもないわけ。

撮影は、シーン50
死にそうな商店街に、サブイボマスク(ファンキー)の声が響く。

60人のエキストラが、声援を送って、大盛り上がり!

吉井は、
「なるほど、ライブは、こんな感じか」
と、現場を後にしました。

=============

その二日後。

9月1日は、吉井の出番。

同じく、中津の古い商店街で、
「ライブをするから来てね?」
と言う、ちらしを、サブイボマスクが
商店街のおばちゃんたちに配る設定。

7時30分に、現地入り。

商店街の中で空き店舗となっている場所が支度部屋。

2Fの控え室に行き、衣装部屋で着替えて、
メークさんに、髪を整えてもらい、待機。

大分オーディションでいっしょだったGさんが居て、
台本が違っていると、ちょっとダケ、騒ぎに。

※Gさんたちは、台本を本ではなく、
コピーをもらっていたので、
ここでも、馬場さんの扱いが別格だと知る。

撮影は、いつものように、
大蔵町長・吉井・渡辺の役所3人組。

そこに、春雄(サブイボマスク)が
町のおばちゃんたちに、ちらしを配る。

吉井が、ちらしの束を持っていて、
春雄が、それから1枚とり、
「ね、きてよ」と迫る。

それだけ。

上映だと、30秒ほどのシーン。

これを、前・後・遠くからと、
いくつかのカットに分けて、収録。

撮影は、10時には終わったので、
衣装を着替えて、現場から離れる。

家に帰り着いて、昼寝。

ところが!!

撮影にそなえ、マナーモードにしていて、
そのままで、気が付かなかったけど、
「吉井役、追加撮影があるので現場に戻れ!」
と指示があった。

結局、間に合わず、吉井は出演シーンを
1つ落としてしまう。

ああ、残念。

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それから、しばらく日数が過ぎて、
9月13日が、撮影日。

再び、太田庁舎で、役所のシーン。

今回は、春雄・雪・権助は居ない。
で、町長も居ない。

役所の接客カウンターで、
生活保護について文句を言う
シングルマザーの親子と、
その状況に、町に厳しさを感じる、
吉井と渡辺、というシーン。

シングルマザーは、いとうあさこさん

子役は、日出町オーディションで採用された
甲斐愛鈴さん、12歳。(右側)

背の高い方が、今回の問題児

この子、どういうつもりなのかわからないけど、
簡単にいえば、
「勘違い・調子乗ってる」と、思いました。

支度部屋でも、女優気取り?
いとうあさこさんの娘役だから、
そのつもりなんだろうけど、
ずーっと、周囲にタメ口。

この日は、主演・共演者で、
大物さんが、少ないから、
メジャーは、いとうあさこさんと、dapumpヨリさん。

窓口役の俳優さんは、劇団などで
東京で活躍するしっかりとした方なのだけど、
誰もが知っている方ではない。

もちろん馬場雅治さんも無名役者。

子役さん、メジャーな方のまわりにじゃれついて、
メークさん、衣装さんにも、
監督にも、助監督にも、タメ口、なれなれしい。

監督がそういうラフな雰囲気を
大切にする方なのかもしれないけど。

ちょっと、どうなのかなぁ、
「うちの娘なら、ビンタだな」
と、思った馬場さん。

それを確信したのが、
周囲のスタッフさんの本音。

撮影現場には、
・監督(と記録係)
・助監督
・ラインプロデゥーサー
が、指示を出す権利を持っています。

例えば、セリフの変更とか、
カット割りの変更は、この3人が決めます。

次に権限をもつのが、
・カメラさん
・音声さん
です。

次に
・俳優部
・衣装部(メークも含む)
・大道具・小道具
です。

部門それぞれに、手下がいて、
ボスをサポートをします。

その全員が無線機で、すべての状況を聞いています。
今回は、30人くらい?

当初、吉井役の馬場さんが、
セリフを飛ばしてしまった状況も、
この30人が聞いていて、全員が、
「おいおい、マジか」と、思っていたでしょう。

つまり、役者が板付きになった段階で、
役者のマイクが入りっぱなしになり、
音声さんのヘッドホンを通じて、
全員にながれます。

もちろん、子役さんの騒ぐ声とか、
「監督、私、写ってる?」とか、
いとうあさこさんとのなれなれしい会話とか、
すべて、聞こえています。

この日の撮影では、
出番待ち俳優は、監督席横に休憩イスがあって、
馬場さんは、そこに座っていました。

素人なので、そんな扱いは申し訳ないんだけど、
反対に、素人がうろついてはジャマなので、
判りやすい位置に居て、動かない方が良い。

監督席の隣は、音声さんが居る。
なので、音声ボスの声が、馬場さんに聞こえてくる。

段取りが始まり板付き、
当然、子役さんは、大騒ぎ。

たまらず、音声のボスが
「くっ、うるせいなぁ」と、グチる。

ああ、こうやって、現場で嫌われる女優になるんだな、
って、馬場さんは思ったわけです。

この子が、どういう人生をあるこうが関係ありませんが、
この事件は、うちの娘さんたちにも
言えることかもしれません。

特に、幼稚園での言動は、
理事長先生の娘という「調子乗った状況」であり、
節度をもって、先生や園児や、保護者さんに接するべきだと、
改めて、思いました。

それは、パパにも言えることでしょう。
威張った態度をしている事があると思います。

本来、人と人が集まって、
なにか仕事をしている場所では、
「特権」など無いはずだし、
求められている役目を超えた言動は、
周囲の気持ちを考えておかねばならんですね。

もう1つ、この困った子役のママ
まるで昭和のアイドルのような、
フリフリのレースのスカートで、
大きな花のようなリボンをポニーテールに。
そして、全身、薄いピンクでかためていらっしゃった。

ああ、すごいね、と、馬場さんは、思ったのでした。

さて、撮影は、
カウンターで、生活保護の手続きでモメるシングルマザーの情景で始まり、
その様子を見かけた、吉井と渡辺が廊下で、ため息をつく、シーン。

吉井はセリフなし。

出番初日に撮影した、
役所3人で、ゆるキャラ落ち込み会議から、
その後のつながりで、自分の席に戻る途中、
役所ロビーで、生活保護の相談に来ている人の多さに、
ため息、というところ。

カチンコなって、
廊下に進み出た所から、カメラスタート。

渡辺が、その様子をみて、
吉井にヒトコト言うのを受けて、
だまってうなずく、吉井。

今回、いつも演技を考えてくれる大蔵町長
つまり、泉谷しげるさんが居ないので、
馬場さんは、ヨリさんと、二人で演技を作ります。

ヨリさんと、たくさん、お話をしました。

渡辺は、セリフ後、行列を睨み絶句!
吉井は、腕組みをして、仁王立ち。

そんな演技を作りました。

門馬監督は、
細かい演技を付けてくれません。

役者がどうするのか、台本を読んだ役者が考えねばならず、
吉井の腕組みも、指示ではなくて、
馬場さんならそうするだろうと、やったことです。

それで、OKなら、OKだという監督でした。

馬場さんは、ヨリさんより目立たないように、
動いたつもりですが、うまく行ったかな?

撮影は順調で、トラブルなく、終わりました。

この日は、午後から、屋外撮影があって、
吉井は絶対出番なしなので、さっさと帰りました。

帰り際、子役さんが居たので、
「お疲れ様でした」と声をかけたら、

ガン無視でした。

ははは

お昼前だったので、
大分空港近くの、かわった寿司屋さんに行きました。

家に帰ってから、
この日撮影の、シーン10とつながる、
シーン9の時に使ったネクタイが違っていて、

同じ日の状況の設定なのに、
吉井のネクタイが違うって矛盾が発覚!

責任は、馬場さんではないんだけど、ちょっと大騒ぎ。

結局、シーン9で、吉井の映りが、
ネクタイの柄を識別できる角度ではないとの事で、
このまま行くという判断らしい。

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9月15日

吉井出番、最後。
と言うより、全員の撮影最終日。

太田庁舎で、撮影でした。

吉井は、午後からの出番。

シーン57は、

・春雄(ファンキー加藤)
・雪(平愛梨)
・権助(小池哲平)
・大蔵町長(泉谷しげる)
・渡辺(ヨリ)
・吉井(馬場雅治)
・虎二(温水洋一)

・みつわ(斉木しげる)

と、けっこう、大御所ばかり。

商店街ライブが好評だったことをうけて、
観光客が増え、CDも売れている。

その事を、会議するシーンです。

ちょいと補足。
撮影最終日のシーンは、
映画としての、エンディングではないです。
撮影順序は、頭から順番じゃないので、
最終日がエンディングとはかぎりません。

そして、このシーンが、
22日間の、撮影の最後のシーン。

つまり、このシーンが終わると、
門馬監督率いる「門馬組」は解散です。
周囲のスタッフも、ちょっとウルちゃう感じです。

そんな大切な状況の中の、貴重な瞬間。

なんと、シーン頭、吉井のセリフからはじまります。

しくじったら、みなの感動が台無しになってしまう……….。

そんな緊張の空気の中、撮影スタート。

撮影場所の準備ができて、
呼び出しが支度部屋にきます。

「お待たせしました、では、みなさん、お願いします」

俳優全員、ぞろぞろと移動する。

みな、それぞれのイスに、板付き。

テストを終え、いつものように、
町長(泉谷)から、
「ぐっと押していく感じでいいだろうなぁ」
と、独り言のように、
素人の吉井役にアドバイスをくれます。

いよいよ、本番!

シーン57 カット1 よーい
スタート
カチンコ!

吉井
「観光客50%UP、
サブイボマスクのCDの売上、30万円、
そして大ニュースは県知事が来年度の予算・・・」
と、始まる。

物語的に、
「来年度の話はまだ言ってはいけないこと」なので、
吉井のとなりの大蔵町長が、まて、と手を出し、止める。

吉井は、言い過ぎてしまったと、黙り込む。

吉井の空気感が、このシーンを決めてしまう。

役柄と言うより、
これで「門馬組解散」とのスタッフの思いが凝縮した
たいへん重い任務を、吉井がやりました。

うまく出来たようです。

カット1本番は、一発OK。

その後、前・横・後と、
カット割りにそって、撮影が進む。

その度に、映る必要のある人が呼び出され、
撮影が進みます。

控え室では、
メークさんが撤収の片付けを始めてました。

「あー、いよいよ終わるで、
よし、いまからNG、50回だして、
引き延ばすわ」と泉谷さん。

みな、大笑い。

でも、本音は、
早く東京(家)に帰りたいスタッフ。

「もう、明日から、この台本開かないんだ」
と、平愛梨さん。

小池徹平さんは、ずっとトリコ(漫画)を見てました。

そして、いよいよ、
シーン57の最後の出番は!?

ノートパッドの画面、でした。
つまり、役者なし!

「OK」と、監督の声が廊下に広がり、
一同、おわったー!と、喜びました。

馬場さんは、
撮影に、参加できた事もそうですが、
すべての終了の瞬間
「クランクアップ」の瞬間に立ち会えたことは、
生涯の思い出の1つになりました。

これから、死ぬまで、自慢しますよ!

クランクアップは、映画のスケジュールで
とても大切な事なので、
めざましTVが取材にきていました。

そして、撮影終わりの、大切な儀式が始まります。

関係者全員が、会議室に集められ、
監督他スタッフ全員を前に、出演者が前に並びます。

で、なんと、吉井役馬場さんも並びます。

新聞・めざましTVの取材もきています。

そして、助監督の司会で、クランクアップ儀式。

「では、これをもちまして、
吉井役馬場さん、オールUPです!!!」

会場、大拍手、シャッターばしばし!!!

そして、門馬監督から、記念の温泉県シャツをもらう。

以後、順番に、ヨリさん・温水さんなど続きました。

ラストは、主演ファンキー加藤さんのコメント。

めざましTVではここが放送されるのかな。

最後は、門馬監督へ、俳優一同から、お礼の言葉。

そのあと、大ホールに移動して、
すべての関係者で、記念撮影。

この集合写真って、もらえるのかなぁ?

馬場さんは、着替えて、
出演者のみなさんにご挨拶をして会場を後に。

打ち上げのお誘いを頂いたのですが、
馬場さん、調子こいて、暴言をするとマズイし、
杵築で、酒飲んで、帰れないのも困るし、
フェードアウトにしました。

ほんとに俳優めざすなら、
関係者に、グイグイ行くべきなんだろうけどね。

今回、
紗代実さんと、商店街ライブで、
ノリノリのガヤをやるつもりだったのだけど、
なぜか、役名のある「俳優」レベルの任務になりました。

キャスティングの岩崎氏曰く、選考の理由は、
「馬場さんのイメージが吉井だっただけです」
との事でした。

パパは、
働きもせず、理事長先生の困り事・事件解決だけを任務に、
じっと、自宅待機の役立たずでも、

見る人によっては、使い道があるのだな、って思いました。

そして、事実として、馬場雅治さんは、

「門馬組」の一員となったし、
「映画俳優」として仕事を終えたし、
「サブイボマスク」のフィルムの中で永遠に生き続ける
わけです。

来年夏に映画館で上映され、
Wowowで放送され、
もしかしたら金曜ロードショーで放送され、
DVDが販売されます。

雅治さんが、死んでも、
いつでも作品の中で、その姿を見ることができる。

映画に参加するって、そういう事なのです。

※なぜ、山崎雅治でなく、
馬場雅治さんなのか、って事は、
過去のいきさつを守っているからですね。

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2015年9月22日
早朝の情報番組「めざましTV」にて
クランクアップの様子を紹介されたヒトコマ。

吉井役も、ちょっとだけ見えた。

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今後、芸歴を聞かれた時、

「2015年 門馬組サブイボマスクに出演」

と、言えるわけですね。

馬場雅治さんのWikipedia に情報追加しておかねば。

無駄に、47年11ヶ月、生きてきて良かったです。